毒気なしではあかん

★毒気返しのブログ──「日刊ゲンダイ以下の自分」に喝!

最近、私のブログが“上品すぎる”らしい。読みやすい?理解しやすい?結構。だが続く言葉がいただけない。「毒がない」「角がない」「会長、ついに丸くなりましたね」……ふざけるな、である。

私は煩悩と俗念を抱えた生身の人間だ。
清廉潔白に見せたいなど露ほども思わぬ。
それなのに、書く文章だけが妙に“聖人君子コスプレ”をしているらしい。これではブログ読者に見透かされても当然だ。

ここで一発、毒を取り戻す。
さて、先日の東京出張。帰りの新幹線。キヨスクで買うのは缶ビール、柿の種、そして日刊ゲンダイ。日刊フジも昔は買ったが、そもそも発刊中止になった。面白くなければ紙は死ぬ。これが真理だ。夕刊紙魂を失った者から落ちていく。それだけの話である。

で、ゲンダイだ。
見出しは脊髄に刺さる。内容は…まあ玉石混交。だが、与党も野党も、財界も芸能も、人気者も偉そうな人も、問答無用でバッサリ斬る。

公正中立?両論併記?
新聞は客観的であるべき?
バカも休み休み言え。
人間が書く以上、主観の塊だ。
“中立”なんて、もっともらしい嘘である。

ゲンダイは1975年創刊。週刊誌上がりの無頼漢が集まった“新聞の皮を被った反逆児”。文春砲より先にゲンダイ爆弾が飛んでいた。トップは言った。「眉をひそめる読者?知るか」。合言葉は「朝日新聞だけには成り下がるな」。

その朝日が800万部→いまや200万部台。
ゲンダイはいまだ血が通っている。なるほど、“毒のある言葉”が紙を生かすのか。そんなゲンダイを肴にビールを飲みながらふと気づく。おい、最近の俺のブログ、ゲンダイにも負けてるぞ。角が取れ、毒が抜け、まるくなった守りの文章じゃないか。読者に「また良いこと言ってるなぁ」で終わられたら、負けなのだ。

ゲンダイは土日休刊なんて論外。日刊紙に抗う。そして「競馬が稼ぎ頭だ。土日こそ勝負だ」と胸を張る。アホらしいほど潔い。だから売れる。

一方、私はどうだ。自制心だの、好感度だの、誤解を招かぬようにだのと気にして、言葉の刃を鞘に収めたまま。サビついているかも。そんな腑抜けた文章を書いて、読者に刺さるわけがない。

『地域みっちゃく生活情報誌』だって同じだ。もっと破天荒でいい。もっと自由でいい。もっと笑わせていい。面白くなければふりーメディアじゃない。毒の一滴も垂らさずに地域を元気にできるわけがない。

だから宣言する。今日から殻を破る。毒も皮肉も情念も全部、書く。聖人君子ブログなんて、クソくらえだ。

さて、ここまで読まれたあなたへ一言。「後藤おまへ、ようやく本性が出てきましたなぁ」と思っただろう?……ええ、その通り。ニヤリ。Goto

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