たかがパンダ、されどパンダか?
1月も今日で終わりだ。二度も大寒波が。
雪に悩まされる北国の方々にお見舞い申し上げる。
なぜ、これほどまでにパンダは人の心を掴むのか。その理由を、動物行動学者コンラート・ローレンツは「ベビースキーマ」と呼んだ。
大きな頭、短い手足、丸みを帯びた輪郭、顔の下寄りに配置された目。人が「かわいい」と感じる要素の集合体である。パンダはその条件を、ほぼ完璧に満たしている。加えて、地面に腰を下ろし、前脚で竹を掴み、黙々と食べる姿。その動きにどこか人間らしさを見出し、私たちは親近感を覚える。
27日、上野動物園のパンダが中国へ返還され、日本からパンダはいなくなった。最終観覧日には、抽選で選ばれた4400人が別れを惜しみ、輸送機に涙した。テレビも新聞も一斉に「感動のラスト」を報じた。1972年の初来日以来、半世紀以上続いた風景が幕を閉じた。
確かに、貸与されたものを返すのは当然だ。しかし、その当然の出来事を、なぜここまで情緒一色で報じるのか。過去、日中関係が悪化した際、当時の石原慎太郎東京都知事が「御神体ではない」と発言し、上野商店街が反発したこともあった。それでもパンダは「日中友好の象徴」として、政治の都合の中で貸し借りされてきた。
そもそもパンダとは何者か。分類上はクマであり、太古には欧州にも生息していたとされる。現在、中国西部の高山地帯に限られ生息ているからといって、「中国のもの」と単純化するのは乱暴だ。中国政府が珍獣を政治的に利用しているだけの話である。
問題は、日本側だ。これほど国民が待望し、別れを惜しんでいるにもかかわらず、政治としてどう向き合うのかという議論が、ほとんど聞こえてこない。中国と冷静に交渉し、再び迎える努力をする政治家は現れないのか。
衆院選が公示されている。対立軸の見えにくい総選挙だ。「パンダ再誘致」を公約に掲げる政党があってもいい。比例で一、二議席は動くかもしれない。茶化しているようで、実は象徴的な話だ。
たかがパンダ、されどパンダ。
この一件は、日本のメディアが情緒から抜け出せないこと、そして日本の政治が思考停止に陥っていることを、はっきり映し出している。
鏡に映っているのは、パンダではない。日本の政治の未熟さであり、日本人の拙さである。「ベビースキーマ」に踊っている国っていかがなモノか。Goto


コメント