李下に冠を正さず・・・
総選挙が公示され、候補者が出揃った。政権選択選挙であるはずなのに、国家の根幹を正面から論じる政党が見当たらない。とりわけ、日米同盟への疑義を公約に掲げる勢力が皆無である現実に、私は強い違和感を覚える。
国家の進路、外交・安全保障という最重要テーマを避けたまま、果たして「選択」と言える選挙が成り立つのか。そんな思いが、頭を離れない。私ごときが、ドナルド・トランプ政権を論じるのは烏滸がましい。だが、言論の自由に免じて許していただきたい。
第2次トランプ政権は、発足から一年を迎えた。率直に言う。私は、とんでもない大統領だと心底思っている。にもかかわらず、支持率は50%を超える。米国民は、これを容認しているのだろう。
そこに、民主主義の難しさと怖さがある。ある共和党支持者は、こう語る。「米国ファーストに共感して支持してきた。だが“もう戦争はしない”と言いながら、次々と新たな火種を生む。国内の修復に集中してほしい」と支持しないと嘆く。
象徴的なのが、グリーンランドを巡る発言である。鉱物資源、とりわけレアアースを背景にした領土的野心が透けて見える。欧州への関税発動方針に対し、欧州側が対抗策として米国債売却を検討するとの観測が広がり、市場はトリプル安に見舞われた。
理由の如何を問わず、同盟国に対し、関税という恫喝を用いる外交は常軌を逸している。その結果、米欧の亀裂は深まり、ウクライナ侵略を続けるロシアを利するだけだ。欧州の大人の対応で救われたが・・・
また、リバタリアンを自称する党員の声も興味深い。海外の戦争には関与しない、政府支出を削減すると訴え、イーロン・マスクと組んだ改革。しかし現実には、大型減税と大型歳出を同時に進め、さらにはベネゼイラ大統領の拘束・拉致という強硬策にまで踏み込んだ。石油利権が目的だとの見方が広がるのも、無理はない。
ニューヨークの個人投資家の言葉は、より辛辣だ。「庶民の怒りを巧みに掬い上げたが、化けの皮は剥がれた」米誌フォーブスによれば、トランプの純資産は一年で大きく膨らみ、一族が経営するトランプ・オーガニゼーションは、欧州、アジア、中東で事業を拡大している。
サウジアラビやカタールとの関係を見れば、「見返り」と映る取引があっても不思議ではない。日本には「李下に冠を正さず」という言葉がある。疑念を招く行為そのものを慎む、という政治文化だ。それが通用しないのだとすれば、私は正直、米国民の民度に首を傾げざるを得ない。
ことほどさように、我欲を原動力として世界をかき回す政治を、私はに受け入れることができない。反旗を翻せとは言わない。だが、日本は静かに、付かず離れずの距離を取るべきだ。その一点において、現政権の対米姿勢には疑問が残る。
大統領を選ぶのは、あくまで米国民である。私がとやかく言う立場にはない。それでも、今年11月の中間選挙で、トランプ共和党は敗れると私は見ている。――負けてほしい、という願望を込めて。
人間が権力を持ったとき、
自制がなければ、必ず驕りに至る。
この古くて新しい真理を、私たちは他山の石として、深く胸に刻むべきだろう。総選挙の投票基準としても。Goto


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