祝、中日新聞3万号

中日新聞が2026年6月17日付で三万号を迎えた。誠におめでたい。

1942年(昭和17年)、戦時下の日本。軍部主導の言論統制のもと、「一県一紙」の方針が進められた。愛知県では「新愛知」と「名古屋新聞」が統合され、「中部日本新聞」が誕生した。9月2日、その創刊第一号が発行されたのである。

しかし、その出発は決して平坦なものではなかった。戦時下にあって新聞は軍部の強い統制下に置かれた。戦果は誇大に、撤退は過小に報じられた。多くの新聞社がそうであったように、中部日本新聞もまた戦争遂行の一翼を担わざるを得なかった。

終戦後、新聞界は厳しい自己検証を迫られた。経営陣や編集幹部を刷新し、「真実・公平・進歩的」を社是として再出発を図った。そして1965年、「中日新聞」と題字を改め、今日に至るまで民主主義、言論の自由、市民の権利を守ることを使命として歩み続けてきた。

その歴史と伝統に対し、まずもって深甚なる敬意を表したい。

翻って、我が社である。1978年、中広は中日新聞岐阜県版を取り扱う拠点代理店として産声を上げた。来年、創業50年を迎える。

振り返れば、中広グループの原点は中日新聞との代理店契約にある。今日の中広グループが存在するのは、中日新聞とのご縁があったからこそである。

だからこそ創業者は社訓に「飲水不忘掘井人」を掲げた。水を飲む時、その井戸を掘った人の恩を忘れてはならない。

私たちは今もこの言葉を掲げ、社内報に掲載し、全社員に伝え続けている。報恩謝徳を忘れないためである。

中日新聞三万号。
その積み重ねられた歴史に対し、日本社会の発展と繁栄を支えてきた功績に対し、心から感謝申し上げたい。

本当におめでとうございます。そして、ますますのご隆盛をお祈り申し上げる。

さて、半世紀にわたり中日新聞の庇護のもとで歩ませていただいた一人として、二つのことを考える。

一つは、戦後八十年を迎えた今、戦争の記憶を風化させてはならないという信念は守り続けるべきだ。反戦平和は尊い。あの悲惨な戦争を二度と繰り返してはならない。

それは戦後日本が築き上げた大切な財産である。しかし同時に、世界は大きく変わった。第四次産業革命、インターネット革命、そして生成AIの時代である。国家も企業も個人も、歴史を学びながら未来を切り拓かなければならない。

過去を語ることは大切である。しかし、そのくびきに縛られはならない。過去だけを語っていては未来は開けない。

新聞には、戦争の教訓を伝える役割と同時に、新しい時代への道筋を示す役割も求められているのではないだろうか。

もう一つは、日刊紙の未来である。新聞の発行部数減少が続く中、「新聞は生き残れるのか」という問いが投げ掛けられている。

私は生き残ると思っている。なぜなら、新聞を読む人々こそが、今なお地域や企業、行政、教育、文化の中核を担っているからである。

新聞は単なる情報媒体ではない。社会の方向を考え、歴史を学び、未来を展望する知的基盤である。だからこそ新聞は、現有読者が求める情報をさらに深く掘り下げる必要がある。そこから新たな読者が生まれる。

近未来の社会はどうなるのか。
人口減少は。AIは。エネルギーは。地方創生は。国際情勢は。未来への羅針盤となる情報を、より豊かに、より分かりやすく届けていただきたい。

三万号は単なる通過点ではない。八十余年にわたり積み重ねられた信頼の証である。言論の府としての誇りを胸に、時代の変化を恐れず、真実を追求し続ける中日新聞であってほしい。

そして私たち中広グループもまた、「飲水不忘掘井人」の精神を胸に刻み、中日新聞に学びながら地域社会の発展に尽くしてまいりたい。

中日新聞三万号。
心からの祝意と感謝を込めて。Goto

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