呪縛から逃れることはできないのだろうか?
古い話になります。自民党政権が、この国を取り仕切って派閥政治が横行してた頃です。
田中角栄という希代なる政治が、日本列島改造論を唱え。高度経済成長期に官僚と結託して利権を掌中に収め、この国を金と数の力で動かしていました。
その田中角栄がロッキード事件で総理の座を追われたが、数と金力で院政を敷いていました。しかし、脳梗塞で倒れ、再起不能。派閥内から下克上。竹下登、金丸信率いる竹下派が誕生、その中核メンバーの一人が小沢一郎。その派閥の名前を「経世会」と称しました。
経世会とは、中国の古い言葉で経済を意味する「経世済民」。経世は世を治める。済民は民を救うから引用。政治集団である派閥の名称としたのは、「経世」のみを生かし、済民は無視したのでしょう。
政治における経済とは、個人や企業がどのような行動を取るかを分析する「ミクロ経済学」の分野はなく、日本や世界の経済全体の動きを分析する「マクロ経済学」をベースに論じるべきであろう。でなければ、世を治めるための権力争い。即ち、政局でしか経済が論じられなくなる。
池上彰氏の受け売りだが。経済学の定義は「資源の再配分考える学問」であり。その対象となす「人間」は金銭的理由で合理的に行動するものと考えられている。それを「合理的経済人」という。
しかし、最近、人間は合理的に行動を取らないモノと仮定した「行動経済学」なるものも生まれ、心理が行動を規定する非合理な経済理論も横行している。経済は、政治と違い自由度が高い。時代に合わなくなれば、新しい理論が生まれるものらしい。
世界の経済は時代に合わせダイナミックに変遷、その論理構成すら否定するのだが。日本の政治は、日本経済の変革も変遷も認めず、経済を全く度外視して、政局に走る。その象徴が金と数を頼り、済民を置き去りにした、田中角栄の亡霊であるとすれば・・・・。
なんと、日本人は、呪縛に囚われる民族なんだろうか?Goto
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