「闘う哲学者」の論に・・人間とはそもそもが、哲学的なる生き物だと認識した。
このブログ一話完結を旨としてます。続編はないのですが、昨日に続いて、哲学的なるモノについて、かの哲学者の独特のニーチェ論から語って見たい。日曜の朝っぱらから煩い話ですが。
著書「善人ほど悪い奴はいない」でニーチェをこう断じています。
若い頃からニーチェは「嫌悪」の対象であった。
ニーチェの轟くような叫び声、永遠回帰や運命愛や超人などの大げさな理念の提示、涙をこらえての自己否定、辺り構わずの他人攻撃は猛烈に格好悪く、頭が悪く田舎っぽく思われた。
そもそもニーチェは天才だが、時として繰り返す善人攻撃や同情非難の陰湿さは自分自身のうちに潜む「弱さ、卑劣さ、善良さ」に対するものであって、人に対する意味なき「憎悪」によるものである。
それはまるで、何の実績もない現代の若者たちがネットの掲示板に糞尿を投げつけるような幼稚な他人攻撃と・・・全く同じではないかと気が付いた。昨今の甘口ニーチェ論がなぜ、若者に読まれるのか。自尊心だけはあるが何をしてもうまくいかない、数百万規模の諦め寸前の若者たちと精神構造がとても似ているからだ・・・
人間一般を観察し分析し記述することに関しては神業のような技術を持ちながら、自分自身に関してはわずかにも正確に把握しえないというニーチェのいびつな誠実さ・・・・現代の若者だけでなく現代人が抱える問題そのものである。
私も甘口ニーチェ論「超訳ニーチェの言葉」を読んで、何と無く、ニーチェの人間観察力に納得してたが。
なるほど、弱冠24歳でバーゼル大学の教授に就任。最初の著作が批判され、世間から袋叩きにあって・・・自尊心を傷つけられると歯車が狂い・・生涯、人間を恨み続けた結果が「ほんとうのニーチェは実に弱気で卑劣な男、自分の思想を実践する勇気すらなかった」とする・・・かの哲学者のニーチェ分析に、・・
そうか。ニーチェは永遠の哲学者だと思っていたが。ニーチェであろうが、誰であろうが、人間はだれもが、みな、同じ「弱さ、卑劣さ、善良さ」を持っているのだと知り、哲学などあまりにも縁遠いと思っていたが・・・「闘う哲学者」の論に・・・・そもそも人間は哲学的なる生き物だと改めて認識した。Goto
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