ヘイトスピーチ

隣国を嘲笑することに何の意味があるだろうか?逃げずに共助の道を探るべき・・・
国連の人種差別撤廃委員会は「憲法が保障する表現の自由などの関係を慎重に検討しなければならない」・・「ヘイトスピーチ」(差別的憎悪表現)を繰り返す集団に対し「これに対抗することは表現の自由の保護と抵触しないのではないか」との見解を示し・・・・
日本政府に「包括的な差別禁止法の制定が必要」との勧告をまとめ・・・今後「最終見解」を公表するとした。何事も法で縛り罰則を設けるのはどうかと思うが。「ヘイトスピーチ」だけはそうはいかない。日本政府、取分け与党は、国連からの勧告を受ける前に「ヘイトスピーチ」に対して差別禁止法を制定すべきである。
国力を失うと、国は卑屈になる。国力の源は軍事力であるが、戦後、日本は平和憲法のお陰で、いや、米国の傘に守られ、いたずらに軍備を拡張する必要がなかった。しかし、日替り弁当のように首相を代えるという政治的不安定によって、外交で最も大切な首脳間の信頼関係が希薄となり、政治力を失った。
更には唯一の頼みであった経済力も中国に追い抜かれ、韓国とは拮抗するようになった。そうなると、安倍首相の歴史観を根底に、歴史修正主義的な動きが活発化し、国力の衰退をナショナリズムで補完しようとする。その偏狭がヘイトスピーチである。
隣国を嘲笑することに何の意味がある。誰かを攻撃したい。共助の道を探るよりも楽で何となくスッキリする。そんなたいだで逃避的な考えは国際社会では通用しない。中国に追い抜かれたとはいえ、日本は世界第三位の経済大国。政治力が、軍事力が劣っても、堂々と経済力で勝負すべきだ。
それには、安倍政権が掲げる新成長戦略を歯を食いしばって成し遂げるしか方策はなかろう。ヘイトスピーチに逃げるよりも、共助の道を探りながら、経済力を強化するために、岩盤のような既得権益と戦うこと・・・それが重要である。Goto

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