報道と紙面を考える。

新聞を読もう。国家の未来を自分の頭で考えるために

活字文化の衰退が止まらない。
街から本屋が消え、コンビニに並ぶ雑誌も売れ残りが目立つ。新聞の世帯購読率も、もはや目を覆う有り様である。「新聞は古い」「スマホで十分」。そんな声が幅を利かせる時代になった。

しかし、本当にそれで良いのだろうか。

私は声を大にして申し上げたい。
新聞とは単なる情報紙ではない。言論を支え、権力を監視し、社会の動向を冷静に分析し、国家の進むべき方向を国民に問い掛ける存在である。民主国家を支える根幹の一つだ。だからこそ、新聞を読まなくなることは、単なる購読率低下では済まない。民主主義そのものの土台が揺らぐ問題だと思えてならない。

そんな中、読売新聞が開催した第36回「報道と紙面を考える」懇談会の記事に接し、大いに考えさせられた。

日本の政治はいま、大きな転換期にある。
高市政権は、衆院総定数の3分の2を背景に、給付付税額控除、消費税減税、安全保障、憲法改正、皇位継承、選挙制度改革など、国家の根幹に関わる政策を矢継ぎ早に進めようとしている。

もちろん、国際情勢の変化を考えれば、避けて通れぬ課題も多い。しかし、それゆえにこそ、慎重で丁寧な議論が必要である。国家百年の計を、短兵急に決めて良いはずがない。

懇談会で読売新聞の主筆は、「国家の基本に関わる重要問題を性急に議論するのは好ましくない。慎重かつ十分な議論を尽くすべきだ」との見解を示した。また、SNSを中心としたデマや中傷が選挙に影響を与える現状に強い危機感を表し、「信頼できる情報源としての新聞の役割は、以前にも増して重くなっている」と語った。

まさに、その通りだと思う。

昨今のSNS空間は凄まじい。
刺激的な言葉ほど拡散され、事実より感情が優先される。真偽不明の情報が瞬時に飛び交い、人々は自分の好む情報だけを信じ込む。これでは社会の分断は深まるばかりだ。

だからこそ、裏取りを重ね、責任を持って記事を書く新聞の価値が際立つのである。もちろん新聞も万能ではない。誤報もある。偏りもある。だが、それでもなお、署名と責任を背負い、言論を積み重ねる姿勢は重い。

新聞よ。ここが正念場である。

権力に迎合することなく、しかし単なる反対屋にも堕することなく、民主主義の番人として、冷静に政権を監視して欲しい。そして国民に「考える材料」を提供し続けて欲しい。

私は新聞を愛する一読者として、読売新聞の「報道と紙面を考える」姿勢に熱いエールを送りたい。

新聞を読もう。
いや、読まねばならない。
それは、国家の未来を、自らの頭で考えるためである。Goto

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