世界はロボタクシーの時代だそ。
「ライドシェア」とは、自家用車を持つ一般のドライバーが、配車アプリなどを通じて有償で乗客を運ぶ仕組みである。世界では、単なる移動手段ではない。IT、AI、キャッシュレス、自動運転へとつながる新しい交通インフラであり、イノベーションそのものだ。
ところが日本はどうか。
2024年から「日本版ライドシェア」が始まったとはいえ、その実態はタクシー会社が運行管理を行う限定的な制度である。運行できる地域や時間帯も限られ、一般事業者が自由に参入できる国際標準のライドシェアとは似て非なるものだ。
岸田政権下で本格導入が議論され、大いに期待した。しかし、政府の規制改革推進会議の答申は、全面解禁には踏み込まず、結局は現状維持に近い内容だった。
何が改革を妨げているのか。
言うまでもない。既得権益である。
タクシー業界は長年築いてきた営業権や免許制度を守りたい。行政は事故や安全管理を理由に慎重姿勢を崩さない。政治は業界団体との関係を気にし、思い切った決断ができない。
しかし、その間にも世界は待ってはくれない。
米国では2012年頃からライドシェアが都市生活のインフラとなり、中国では同年に滴滴出行が北京でサービスを開始した。インドネシアでは2015年から二輪ライドシェアが急速に普及し、ドイツでも紆余曲折を経ながら合法的なサービスへと移行している。
さらに世界は、その先へ進んだ。
英国では今年5月、政府が自動運転タクシー、いわゆるロボタクシーの運行事業者の募集を開始した。主役は米国や中国の新興企業である。
世界は、ライドシェアの議論を卒業し、自動運転時代の覇権争いに入っているのである。
それなのに日本は、いまだに「全面解禁するか、しないか」を議論している。
情けない。
これでは国際競争に勝てるはずがない。イノベーションは生まれず、新しい産業も育たない。企業の新陳代謝も止まり、若者は挑戦する場を失う。30年以上続く日本の停滞は、まさにこの意思決定の遅さ、そのものではないか。
日本維新の会は、ライドシェアの本格導入を含む規制改革を提言し、「先送りは地域社会の維持と国民生活の向上を一層困難にする」と訴えた。まさにその通りである。
地方では運転手不足が深刻化し、高齢者は病院にも買い物にも行けない。観光地では訪日客を運ぶ車が足りない。困っているのは国民である。
政治は誰のためにあるのか。
私は、ライドシェア問題は単なる交通政策ではないと思っている。この国が改革できる国なのか、それとも既得権益に縛られ、衰退を受け入れる国なのかを問う試金石である。
自民党には猛省を求めたい。業界との調整も必要だろう。しかし、それが国益を失わせるなら本末転倒である。官僚機構もまた、省益ではなく国益を第一に考えてほしい。
「また先送りか」「まだ議論しているのか」。
そう嘆く国民を、これ以上失望させてはならない。改革を恐れる国家に未来はない。変化を拒む国に成長はない。ライドシェアの全面解禁は、日本が再び挑戦する国へ生まれ変わる第一歩である。今こそ政治は決断すべきだ。Goto


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