行く年、来る年

背中を洗う。
例年だと、晦日、大晦日の朝刊はページ数が少ない。勿論、紙面広告も折り込み広告も減る。一転、元旦は、通常32頁立てが、新聞社によって違うが、88頁とか100頁に増える。配達員も一度に配れない。この辺では、大晦日の夕方と元旦の明け方、二度配達する。
二日は休刊。三日が次刊。新聞販売店は元旦の朝刊配達後から、三日配達まで、束の間の正月を味わう。今朝は冷え込んで雪模様。5時前にポストに投げ込まれた。新聞命人間としては、「思わず、一年ご苦労様。ありがとう」と感謝。
土日と祭日、それに盆暮れ、正月と有休を合わせると一年の三分の一以上が休日。必死に働いて、十二分に休む。結構なことだ。休みを楽しむために、一生懸命働く。結構なことだ。それが、休みのために働くとなると、主客転倒。
大仰なことをいう積もりはないが、不思議なことに、キリスト教では日曜。ユダヤ教では土曜。イスラム教は金曜が休日。しかし、仏教には、休む習慣がない。日本人の休日は、盆と正月のみ?だったようだ。明治以降、近代国家となって、新暦に改め、日曜休みとした。
戦後、経済成長の過程で、日本人は働き過ぎとの西欧からの批判を受け、土曜が半ドン、そして、休みとなり、祝祭日をやたらに増やし、近年では、日曜に重なる祝祭日は月曜に移し、三連休とした。働くよりも、休んで、遊ぶことが、美徳のような風潮が蔓延。
世界一勤勉な国民が、「休みのために働く」ようになった。労働の価値を、主客転倒させた。しかし、一方では、仕事に使命を持ち、365日、24時間、休みも取らず、働く人たちがいる。その人たちが日本の経済を支えている。
大晦日の新聞折込。例年とは比較にならないほど、多い。数十枚。すべてが小売、流通業の元旦からの大廉価販売と福袋の案内。競争社会だから仕方がない。あの店が、元旦から営業すれば、こちらも。となる。広告屋の出番は増えて、ありがたいのだが。
流通、小売業は裾野が広い。元旦から七日間営業となれば、メーカーも納入業者も、関係者も含めれば、大勢のヒトが、正月に休みが取れないことになる。政府は、家族の絆を大切にとか、日本の文化、伝統を守ろうと、いいながら、流通業の競争激化を、黙認する。
我が家は、大晦日、銭湯で、親父の背中を、倅が洗う。大きかった親父の背中が、年々、小さくなるのを感じたものだ。二人の倅には正月は必ず実家でと。次男は戻ったが、長男の帰省が元旦になるようだ。今年一年、彼らが、親父の背中を洗いながら「大きいと感じるのか?それとも小さくなったと感じるのか?」楽しみだ。
せめて、政府には、ポピュリズムを逆手にとって、元旦ぐらい、日本中を完全休業にしてもらいたいものだ。   そうそう、忘れるところだった。新聞情報によると、今夜のNHK番組、行く年、来る年。1メートル以上雪の積もった、岐阜県の白川郷「明善寺」から生中継されるとのこと。
              良いお年を!           Goto
                                    

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