年賀葉書

生かされている。
今年もたくさんの年賀状を頂いた。工夫を凝らした年賀の言葉。添え書き、写真。一文字に込められた挨拶の重みに触れ、こんなに多くの方々に、生かされて、今日があるのだと、実感する。
お久しぶりです。あれーお孫さんができたの。おめでとうございます。あの子がこんなに大きくなって。いやいや、ご無沙汰ばかり。あんなことがあったなー。などと、一枚一枚に出会いを思い起こし、心を和ませ、一人で悦に入っている。
同じ賀状が二通。裏面白紙も、職場からと個人で同じ人から二枚。そんなハプニングもまた、ご愛嬌。暮れに、会社として年賀葉書をを出すべきかどうか?話題になった。我社は、この2月で200号を数える月刊の社内報を発行している。中広報。その新年号を毎年年賀状代わりにしている。
頂いた賀状の中に、封書でA4サイズの社内報タイプも何通かある。読み応えがあって楽しかった。外国からのクリスマスカードも封書で届く。封書の賀状も変わっていて良いと思うんだが?「年賀葉書で、お客様に、挨拶するのは、それとは別」との声が、若い人に多かったのには考えさせられた。
やはり、全社員の写真とか、コメントとか、一筆添えるコーナーを設ける、そんな工夫が新年号には欠けていた。のだと、反省している。
常にチャレンジする先輩から「アノネ 仕事はなんでもいい ただひたすら  じぶんの仕事に 打ち込んでいる姿は すばらしい」 と相田みつをさんの言葉を引用。彼の仕事に賭ける思いが率直に伝わった。
その隅に、小さな文字で、昨年苦労をともにした弟と突然別れた、悔しい。しかし、私が元気を失くすと、弟が心配するから、あえて年賀状を出させてもらった。としたためてある。不幸があると新年の挨拶を控える風習があるが、意味があるとは思えない。
むしろ、彼の様に、元気で今年も頑張ると賀状を頂く方も、安心する。くじけず頑張ってくださいね。と願う。
頂いた年賀葉書を、もう一度、読み返す機会はないかもしれない。年賀葉書に手を合わせ、生きているのではない。生かされているのだ。と改めて感謝する。                             Goto

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