ものぐさになってきたのか?
何かにつけて省略するようになった。
一番情けないのは、新聞の読み方である。
以前は、見出しよりも、リード。リードよりも本文と、こまめに活字を追ったが。
最近は見出しに目をやれば、
世の中のことはだいたい分かるなどとうそぶいている。が。
実は、根気がなくなった。目元が暗くなった。
という、読書体力の衰えを覆い隠せないのだ。
弱ったもんだ。
省略といえば、見出し。その代表は月曜、木曜に掲載される週刊誌の広告。
なんとまー。センセーショナルなことか。でも、見出しでだいたいが分かる。けっこう楽しい。
故宮沢喜一さんの娘さん。「父は芸能、スポーツを始め、世相によく通じておりました。」
「なぜ、そんなことまで、と問いますと、ニタリとして、週刊誌の新聞広告だよ」と。
あの堅物そうな。宮沢さんも新聞広告で世相を感じていたのかと思うと、
なんとなく、うれしい気がする。
週刊誌の見出しはチョット行き過ぎだが。
新聞の見出しは、整理記者、校閲担当の腕の見せどころ。
さまざまな「美学」があるが。
新聞の魅力のひとつは、見出し。「十文字に込める省略の美学」だと思う。
新聞を読まない人が増えてるが。
せめて、省略に省略を重ねた見出しぐらいは目を通し、世相を感じ取って欲しいもの。
私のものぐさも相当なモノ。それを「省略の美学」とうそぶき、
家人に嫌われている。弱ったもんだ。
Goto
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