哀愁

街の本屋さんがなくなりますね。
先の見えない重苦しい経済状況がそうさせるのかも知れませんが。
とても自由で、開放的な時代にも拘らず、何かに拘束されている気がするのは私だけでしょうか?
今の若い人たちの待ち合わせ場所が、何処だか知りませんが。
私の青春時代は、大方、本屋さんでした。相手が、遅れて現れても、現れなくても。
新刊を手に取ったり、雑誌を立ち読みしたりして、お金も入らず、夏は涼しく、冬は暖房され、時間を潰すこともでき、おまけに、最新の情報も手に入り、待ち合わせにはもってこいの場所でした。
岐阜の街と言えば、唯一の歓楽街、柳ヶ瀬。その柳ヶ瀬の商店街も、飲み屋街も、往時の面影は姿を消し、ご多分に漏れずシャッターが目立っています。何とかならないのかと、寂しい思いです。
行政も関係者もあの手、この手と努力されていますが、再興は難しいようです。
そんな中、青春の甘酸っぱいシーンを思い出す、書店の灯が、また一つ消えます。
二度と帰ることのない青春、その思い出さえも打ち消されるようで、残念ですが、
昭和23年創業(私の生まれた年)、33年に現在の建物に立て替え、50年の歳月を頑張ってくれたのですから、ごくろうさまと、申し上げるべきでしょう。
でも、私が、ご苦労様と申し上げつつも、この書店に哀愁を感じますのは、その店名にあります。
その名は、自由書房です。また一つと書きましたのは、その前に閉店した書店名は大衆書房。
いずれも、戦前の言論、出版の統制時代から、終戦によって思想弾圧から開放された、知識人の喜びを形にしたのが書店名です。
                                      
自由で開放的な時代にも拘らず、老舗の書店「自由書房」の灯が消える寂しさに、
なんとも皮肉な世の中だと思うのは、私一人でしょうか?
                              Goto

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