岐阜学

地域づくりへの「知の研鑚」が「国のかたち」をつくる。
2009年は、地方分権元年が宣言される年になればと、密かに期待しています。
勿論、理由は疲弊する地域社会活性化の起爆剤は、地方分権しかないと思うからです。
早晩、実施される総選挙の最大の争点は、復興の戦後社会から、超高齢社会(少子高齢化)を迎えたこの「国のかたち」をどうするのか?を問う選挙になります。
私は、この「国のかたち」がこのままの中央集権型では成り立たないと考えています。国と地方の役割分担を明確にして、地方に権限を移譲する、地方分権すべきだとの立場です。
その意味で、今度の衆院選、政党が示すマニフェストをよく読んで、地方分権にどこまで踏み込んでいるのかを選択の基準にしたいと思っています。
その結果。「国のかたち」を地方分権に舵を切るとなっても。
日本は大きな国です。EUの先進国とは違います。小回りが利きません。政治の力だけで、体制が変わるほど生易しいものでは有りません。地域住民が地方分権の意味を理解し、痛みを甘受する必要があります。
それには、地域で暮らす我々が、地域とは何か。地域は如何にあるべきか。何をなすべきか。など、地方分権を受け入れる、準備、心構え、そして、実行力がなければならないと思います。
先日、岐阜大学地域科学部が主催する「岐阜学を求めて」と題したシンポジウムの報告書を頂きました。地方大学の地域での役割を、産学共同とか、地域貢献とかのレベルを超えて、持続可能な地域づくりの真摯な議論が展開されています。
関係各位の、まさに時流に叶った、研究に心よりの敬意を表す次第です。
岐阜に生まれ、岐阜を愛する叔父さんとしては、たとえ、総選挙の結果、地方分権元年が宣言されたとしても。地域に、このような「知の研鑽」無くして、岐阜への分権はありませんし、引いては、「国のかたち」を変えることはできません。
報告書、二冊頂きました。私なりの感想を述べてみたいと思います。
05年の報告書のテーマが「持続可能な地域づくり」。この際の持続とは、何を意味するのか?東大の小宮山教授が「持続可能な地球」をテーマに環境問題を新しい視点で提起しているが?地域の持続の概念が何を指すのか?今一つ見えない。
もう一冊は、07年12月「地域の生活と地域づくり」がテーマ。二年半のブランクがあるので、その間に如何なる議論が展開されたのかは解らないが?地域の生活とはなんだ?
報告書では「福祉」すなわち社会保障の分野に切り込んでいるが?果たして福祉が、地域の生活づくりになるのか?福祉を討論の題材に上げたことによって、「岐阜学」の研究、方途を見失っている気がします。
学問とは、試行錯誤の連続でしょう。しかし「地方学」とはなにか?このシンポジュウムの基本テーマ「岐阜学」とはなにかについて。主催者間に、もう一度、意思の統一が必要ではないでしょうか。
これが、報告書を拝読させて頂いての率直な感想です。
私は、いよいよこの国に訪れるであろう地方分権の時代。
それには地方独自の「知の研鑽」がまずもって必要であるとの認識を持ちました。
合せて、地域に暮らす我々に、心構えと実行力が問われるのだと自覚しています。
この「岐阜学について」の研究に、地方分権という切り口を加えて頂くなら、そこに、岐阜という地域と権力という社会が絡み合い、独自の地域岐阜と「岐阜学」の境地が浮かび上がり。
、それが新しい「国のかたち」になるのではないかと思う次第です。
岐阜大学地域科学部の新しい試みが、岐阜に具現化され、根付くことを願い。
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「岐阜学を求めて」シンポジュウムの報告書

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