今を大切に生きる。
今日のブログは、アル中財務大臣の批判だと思われた方もあるかも。
しかし、私は酒呑み。人さまの酒での失敗を語る資格などありません。
但し、麻生内閣が世界を駆け巡った財務相醜態の報道で、ノックアウトになったことは、確かです。
総選挙を一日も早く。との私の願いが実現するかも。その意味では、赤も白も(ワイン)、いい仕事をするではないかと思う次第です。
総選挙をやらない今の政治に失望していますから、全ての政治家はこの程度。
醜態にはさもありなん。で、終わりです。
私のようなボンクラは、新聞記事を目にするまで、26年前の映画を全く忘れていました。
題名は「典子は、今」。サリドマイド薬害で負った両腕がない障害を足で克服、何事にもチャレンジする実在のモデル白井のり子さんのドキメンタリータッチの映画。
その頑張りに、俺にはできね〜な〜と、涙しながら観た記憶が蘇ります。記事は、彼女が、飛騨高山人権講演会に招かれ、「あれから27年〜今を生きる」と題した講演の紹介です。
人は、悲しいもので、自分と他人とは違う。自分は他人より優位でありたい。他人を押しのけてでも地位や立場を上げたいと思うものです。その感情や所作を、差別といいます。
典子さんは、自分を育ててくれた母親が「のり子はえらかねぇ。何でも足でできるとやねぇ」と、常に褒めてくれた、そのお蔭で「私には障害者の自覚がない。人が思うほど違和感はないのです」と。
そして、「母親は、悲しんでいる時間があるなんて幸せ。将来を考えても悲観的になるだけ。「今、その時のこと」だけしか考えず、私を育ててきた」と。その母から「ひたすら今を生きる。今を懸命に生きることを学んだ」と。
彼女は、26年間勤めた熊本市の職員を二年前に退職。「スマイルビー白井のり子事務所」を設立。
他人を認め過ぎない人愛の心、今を大切に生きると言うことを少しでも考えて頂ければ」と講演活動を行っている。
彼女の講演は、例も比喩もない。自らの体験を語るのみだそうです。二年間で220ヶ所を巡り、聴衆者に「今の自然な自分を伝えることで何かを感じて元気になって頂けるなら」と目的を語る。
私も是非、彼女の話に学ばせてもらい、自らの心に宿る愚かな差別心を払拭できればと思っています。
氷河期を迎えた就職戦線。最も応募の多い職業が「安定している」との理由で、公務員だそうです。
サリドマイド薬害で両腕のないハンディを背負う彼女が、あえて、26年間勤め、安住である公務員を辞職。「今を生きる大切さ」を訴えている活動に取り組んでいると、思うと。
あるのか、ないのかもわからない将来の安定を考えて、役人になろうなんて考える若造の根性がさもしい。そんな奴が、他人を押しのけ、自分さえよければの差別者なんだろう。
そう言えば、辞任したかの財務相も、右派の論客などと持て囃やされているが、所詮は親の七光。
国民の「今を大切に生きる」必要性など、到底分りはしまい。
映画「典子は、今」DVDになっていると。早速に借りて、再度観てみたい。
できれば、アル中の辞任財務相と。
Goto
コメント
昨日5月8日の予算委員会の阿部知子さんの質問でオバマ大統領のことを「オバマ」「オバマ」と呼び捨てにしていました。あれは、とても失礼だと思います。聞いてて不愉快でした。
塩野さんが文芸春秋に毎月寄稿されていますが、このところ、切れ味が悪くなりました。理由はネット社会がもたらす国家間の文化の液状化に彼女が付いてこれなくなっているのではないでしょうか?
これは、鋭い指摘でした。ということは、Goto 氏が、ネット社会のもたらす各種変化にちゃんとついておられるという証拠ですね。
現在の、日本の政治・社会の問題は、ネット社会の変化についてこられない、識者やマスコミや政治家が、過去のメディアに縛られた考えや意見を述べて、それらが支配層を形成していることではありませんか。
マーシャル・マクルーハンの至言があります。曰く、
人はメディアを作るけれど、人はまたメディアで作られる。
過去のメディアで作られたままでいる人間を社会の支配層から追放して、
新しいメディアで、絶えず自己を再生する人間を登用する必要があります。
さしずめ、竹中さんは、その一人かも。
このプログ、日本語版しかないのは、残念ですね。英語版もあれば、世界中に読者ができて、そんな方とも、人脈が広がるでしょうね。
コメントありがとうございます。
ネット社会って凄いですね。このブログを読んで頂いているブラジル在住の方と明日岐阜でお目に掛かります。
ネットは時空を超えた情報交換のツールです。産業革命以降、最大の文明革命です。
この歳で、新たな人間関係が築けるのは幸せです。とても楽しみです。ブログのお陰と感謝です。
中川さんのアル中は有名なこと。別段、驚く分けでもありませんが、戦後続いた自民党長期政権の金属疲労が臨界点を超えた、その現象だと思っています。残念ですが、政権交代は止められませんね。
岐阜は保守王国を誇り、五つの選挙区すべて、自民独占、それも全員二世議員です。その岐阜でも2〜3の選挙区は民主が勝つのではとの噂です。結果は分りませんが?
イデオロギーも政策も液状化状態にある政治で、民主党政権で何が変わるのかといえば、取り立てて変化はないかも知れませんが。官僚の権限にはメスが入ると思います。それに、政策の優先順位も変ると思います。ご指摘の通り、民主党幹部の顔ぶれであれば、その程度が一杯いっぱいだと思います。それで十分です。
政界再編の声が聞こえますが、そんなことは選挙制度を変えなければ起こりません。民主主義は時間が掛かるものです。ただ、政治の責任も経済の責任も、為政者やリーダーが負う時代から、国民全体が負わねばならない時代に移行しつつあります。その覚悟が国民にまだ出来ていない。その分だけ、当分は混乱と混迷を極めると思います。
塩野さんが文芸春秋に毎月寄稿されていますが、このところ、切れ味が悪くなりました。理由はネット社会がもたらす国家間の文化の液状化に彼女が付いてこれなくなっているのではないでしょうか?日本政治をあまり語られない方が良い気がします。つまり、ローマ時代の良き文化と政治風土をこの国がいつの間にか(それは塩野さんの影響ですが)受け入れているからです。
私の願う総理大臣候補は、経済が理解できる人で無ければならない。批判覚悟で申しますと、竹中平蔵氏以外には見当たらないと思ってます。
今後とも変わらぬご指導お願いします。
Goto
いつも、せっかくいいことが書かれているのに、コメントがなかなか来ませんね。今日は、気が向いたからコメントさせていただきます。
中川さんは、私は、彼の財政知識を買っていたので、もったいない、というのが、最初の感想です。でも、ああいう醜態をさらしたから、仕方ないかな、と残念です。
欧米のマスコミも批判したのは、欧米文化では、酒は飲んでも飲まれるな、というのが徹底しているからでしょう。
それにしても、揚げ足とりに熱中する野党の政局志向には、うんざりです。これに決着つけるには、総選挙をして、自民党が圧勝するしか仕方がないのに、このままでは、野党の野合の衆が政権を取る可能性だいです。そして、小沢さんが総理になって、マスクをはめて出てきたら、もう日本の政治も終わりかなという感じ。
なぜか、新聞は、今回のクリントン、小沢会談を、今日の朝刊までの段階では、その内容についてあまり書いてませんが、クリントンさんは小沢さんにどういう感想を持ったか、本音を知りたいものです。
麻生さんと、英語で歓談した後に、通訳つくで、隔靴掻痒の話をしても、面白くなかったのでは、とかんぐっています。
塩野七生さんは、小沢、鳩山、管の三人を行かず後家と皮肉って、あの三人が引退しないと、日本の政治はよくならないと、言っていますが。
野党連合が政権を取って、社民党の福島党首が入閣でもしたら、もう最低ではないですか。
いっそ野田聖子さんを総理にして総選挙したらどうなるでしょうか。
いろいろご意見お聞かせください。