「書くといふこと何かヒキョーに似たりけり」
新聞を読まない人は別にして。時々読む人に、どのページから読みますか?って聞いてみますと、
大概は「スポーツ面とテレビ欄」って、笑って答えます。
毎日読む人に聞きますと、一面です。って、真顔(大方の人が)で答えます。なぜ、スポーツ欄が笑ってで、一面が真剣なのか?不思議ですが、私の知る限り、広告から読みますって言う人には出会ったことがありません。
どのページからでも、どの記事でも構いませんが、ぜひ、新聞を読んで下さい。と
新聞命の私はお願いするばかりですが、私の新聞の読み方は、三度読み(見)です。
名古屋名物のうなぎ料理「ひつまぶし」みたいですが。まず、広告を見(読)るために、一度、すべてを捲ります。二度目は、記事(主に見出しとリード)にざ〜と目を通します。その次は、目に止まった記事を読むのと、スクラップの為に印を付けます。
これは、私の日課でもあり、仕事への仕込みでもあります。
二度目ざ〜と、読む際。ブログを毎日書き始めたせいもあるのですが。
一面下段のコラムは欠かさず読みます。読売の「編集手帳」。朝日の「天声人語」。毎日の「余録」。日経の「春秋」。中日の「中日春秋」。岐阜の「分水嶺」です。
新聞社の主張は社説です。社説は新聞社の正面玄関ですが、コラムは、勝手口って感じで、筆者の日常や心のひだが現れたりして、心に沁みる内容が多いと思っています。
各紙が何人の手で書かれているのかは知りませんが、「編集手帳」は一人。「天声人語」は二人の筆者が担当、年に約180本ずつ624文字書いているそうです。
最近の編集手帳にこんな内容が。「書くといふこと何かヒキョウーに似たりけり」と徳川夢声の一句を添えて、「日々のコラムに後ろめたさを感じる時がある」と新聞配達の途中、転倒、落ちた新聞を拾い集めていて、事故で亡くなった配達員を思い。
その配達員に恥じることのない、心のこもったコラムを書いているかどうか。読者には関わりない話だが、他の何も論じる気にもなれぬまま。と心境を発露しています。
新聞の記事、面白くないかもしれませんが、
すべてが大上段に振りかぶって書かれている分ではありません。
新聞を読まない人にも、スポーツ欄を読むと照れ笑いする人にも、毎日欠かさず読む律儀な人にも、一面のコラム、まじめに書いてるってことを、知って欲しいと思います。
Goto
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