朝の読書

老化と抗って、もうひと頑張りだ・・・・・。
頭を一つ「ガツン」と殴られた言葉に出会いました。
このブログのテーマは「新聞を読もう」だが、それを否定されて。
「朝から新聞を読んでいる人がいるが、一日でいちばん貴重な時間を潰してしまい、損をしている。
誰にも邪魔されない、朝のまとまった時間は、もっと有意義なことに使うことが大事である」
アーノルド・ベネット(イギリスのジャーナリスト。「自分の時間」)
人間に与えられた時間は一日、24時間です。誰にも平等に与えられます。
その時間を有意に過ごすのは当然ですが、問題は「質」です。
私は新聞を読む時間を1時間以内と決めています。広告の仕事をする上で、新聞情報が不可欠であるのと同時に、自分の質を上げるのに必要だと思っているからです。
しかし。ベネットの弁では、新聞記事で「果たして、質が上がるのか?」新聞では人間の「本質」を高めることはできない。との警告に、ガツンです。
そう言われれば、最近の私は、貴重な朝の時間を、インターネットの検索情報と新聞読みに費やしています。以前は、こ難しい本を読み、友人と口角泡を飛ばし、連日議論をしていました。
それに比べると、議論の質や物事の発想の質が落ちているような気がします。(歳ではないです)
ベネットのこの新聞に対する警告は、その後、ラジオになり、テレビに・・・・・。
今では、インターネットや携帯電話に対する警告だと思います。
情報収集と、思想や人間力を上げる「質の向上」とは別だとの考えです。
メディア情報では、質を上げるどころか、下げているとの指摘に、ではどうすればよいのか?もともとが薄っぺらだったのか。質が落ちたのかは解らないが。
たぶん。「新聞を読むのは仕事の一貫で当たり前」。質を上げるのは、朝の貴重な時間に、読書することによって、「質を落とさないようにする」しか、方法はないんだろうと思う。
しかし、還暦を過ぎて、廊下(老化)に立たされている身に、「新聞を読むだけでは、質が落ちる」と言われても、辛いものがあります。でも、そうだよな。もうひと頑張りするしかね・・・・・・。
今年も、金崋山の「椎の木」が一杯の花を付け、こん盛り白く浮き上がってます。
樹木は、春になると、芽を出し、花を咲かせ、葉を茂らして、蘇生しますが、人間は朽ちるばかりです。
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