努力

国の宝です。政治的に利用することのないようにお願いします。
今日のテーマは重すぎる。私如きが、ブログで書くのもおこがましいが。しかし、やっぱり。近い将来のために、書いておいた方が良いと思うので、敢えて・・・・。
「眼が一度だけ、見えたら。お母さんの顔が見たい」。辻井伸行君のコメントを読んで、涙が止まらない。どうにも止まらない。もともと、涙線は緩んでいるのだが。泣けて仕方がない。
それが、彼のこととなると、涙線が緩むのは、どうも私だけではないらしい。
友人たちも皆、涙が溢れるようだ。私の仲間は素晴らしい奴らばかりだと思う。
なぜ、泣けるのか。彼が障害者だからだろうが、それもある。でもそれだけではない。では、彼が若き天才だからだろうか。音楽センス皆無の私が、ピアノを聴いて感動するわけでもない。(聴いてみるが)
では、名だたるピアノの国際コンクールの受賞式シーンを見たからなのか。そもそもコンクールの価値が分らないのだから。それも、涙とは関係がない。
では、インタビューに答える両親。子供に対する真摯な姿勢に心打たれるからだろうか。同じ子を持つ親として苦労は分かる。敬意と尊敬の念を強く感じるが、親子の情愛で止まらないほど、涙することもない。
では、なぜか?それは「努力」に対してだと思う。目も耳も口も・・健常者の私たちは、ハンディのある彼の努力が、いかに大変かが分かる。なぜならば、「努力」を怠って、生きてきたからである。
いい加減な努力しかしてこなかったからである。彼が、国際的に評価されたのは、「努力」の度合いが、我々と言いたいが、少なくとも私とは、質もレベルもあまりにも違うから・・・
だから、彼の努力が、想像できるのです。とてつもない努力する姿が浮かぶのです。
その努力する姿を思うと、止めどもなく涙が溢れるのです。
お母さんと帰国、その第一声「器の大きなピアニストになりたい」と聞いて、限りない可能性を感じます。無条件でエールを送ります。この両親に育てられたからこそ。この子は大丈夫だと、感激しています。
ただ、ちょっぴりの不安は、大人が彼を翻弄して、つぶしはしないか。とりわけ、薄汚い政治に利用されはしないか。心配です。政権維持に形振り構わぬ官邸が、「何とか賞」を与えるとか、言い出しはしないか・・・・・・。
でも、そんなことに利用されない立派な両親が付いているから、大丈夫だと、思うのですが。
もし、そんなことになれば・・・・・・・・・。悲しいことです。
私は、涙を拭いて、今から彼の努力の結晶(CD)を自分で買いに行きます。
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