陳情

日本改造計画(小沢一郎著)を読んでみました。。。。
誤解を恐れずに、申し上げると、なぜマスコミは民主党小沢幹事長を「権力の権化」のように、決めつけるのでしょうか?その決めつけ方が「教条主義」(ドグマチズム)的だと思えて仕方がない・・・。
先日。ある町で、10年ほど前に三期町長を務めた方にお目に掛かりました。「町長時代。一番の仕事は何でしたか?」と質問しますと、間髪入れず「そりゃー君、陳情だよ」との答え。
「陳情って、どこに行くんですか?」「そりゃー君。地元選出の国会議員を頼って、霞が関で予算を配慮してもらうようお願いするのさ」「大臣だとか、副大臣、政務官に会って頼むんだよ」
「陳情って、全国の首長がやるんですよねー。簡単に、大臣に会えるもんですかねー」「そりゃー。簡単じゃねーさ」「順番があるからな。何時間も待って、だよ。変更もあるから、一両日も待たされることは普通だな」
「へー。待ってるのも仕事ですか?会ってどの位話すんですか。」「そうだ。それが仕事だからな。10分ぐれぇーだな」「で、陳情って、効果が、あるんですかねー」「ねぇーな。あんなもん。儀式だからな。行かなきゃ。金が下りてこん時、言いわけができんからな」「どこの首長もだいたい同じだ」?????
で、与党となった民主党が地方自治体など各方面からの陳情窓口を幹事長室に一元化することを決めた。理由は「政務三役」の仕事は陳情を受けることではない。「政府と党が一体化するのだから。陳情は党務として扱う」とのこと。元町長の話を伺えば、陳情一元化も、至極もっともだと思うのだが・・・・・。
ここに、1993年(平成5年)小沢一郎氏が書いた「日本改造計画」がある。最近、民主党が国会改革や、党運営改革をすると、マスコミは二言目に、小沢幹事長の新たな権限集中策だと批判するので読んでみた。
「第一部 いま、政治の改革を。与党と内閣の一体化」の項に、「政府のポストに付かなかった与党議員は第一に、国会関係の委員会や議運の仕事」を「第二に選挙を戦うための態勢づくり(陳情を受けるなど)」を行うように、改革するべきだと明記してある。
マスコミ諸氏は、小沢氏のやることはすべて「権力の亡者だ」と報道するが、その方が、国民受けするからだろうが?それはどうかと思う。「権力の権化」に祭り上げて、政治がよくなり、国民が幸せになれるなら良いが。
果たして、記者たちは彼の著書を読んだことがあるのだろうか?
読めば。素直に読めば。政治改革への情熱が伝わるはずだ。それを理解し上で、彼を批判すらなら、それはそれで良いのだが。先の町長ではないが「何の効果もないのを承知の上で、いまでも陳情だと称して、霞が関でうろうろしている首長がいる」ことを、なぜ、批判しないのか・・・・・疑問だ。
私は、小沢流、日本改造計画が始まったと、実感している。                  Goto
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