津波

過剰な安全対策は、社会に歪みが生じる気がするのですが・・・
チリの巨大地震酷いですね。先月のハイチに続いてです。人間は大自然の猛威になすがまま頭を垂れているしか方法がないんでしょうか。ニュース写真の情報に、胸が痛みます。
日本政府には、一日も早く体制を組んで、支援の手を差し伸べて欲しいモノです。
日本からは地球の裏側にあたるチリ。17000キロも離れた地の地震で、日本列島が津波に襲われる。日曜日一日中、テレビ画面で流し続ける(月曜日も)赤い線で縁取られた日本列島の点滅に・・・・・。
地震を予知するのは難しいのでしょうが。地球の裏側のニュースも瞬時に分かる高度な情報社会です。太平洋を伝播する波の動きぐらいは、目視でも正確に把握できるのではないでしょうか?
素人の浅知恵でしょうか?
私たちには、津波での惨状経験が頭をよぎるモノですから、テレビ画面に身をひそめて、震えているしかないのですが・・・・・・。それにしても、気象庁が津波警報を解除しても、流し続ける放送局(NHK)の神経が分かりません。
情報は事前に分かるから価値があるのであって、雨上がりに、雨の情報を流しても混乱するだけです。だれが日本地図を消す判断をするのかは分かりませんが、何時までもだらだら、放送するのではなく、どこかで「津波の峠は過ぎました。大丈夫です」って、終息宣言をすべきではなかったか・・・・。
気象庁は、月曜の午後のニュースで、やっと、過剰警報だったと反省していますが・・・・・。
最近の日本。安全に対して、あまりにも過剰です。潔癖症という病気ではないかと思います。
世の中、地震が予知できないように、分からないことばかりです。にも拘らず、「安全」だけに絶対を求める。さも、当然のようですが・・・、それでは、妙な歪ができてしまうのではないでしょうか?
地震の発生原因は地中のプレートの歪みだと聞きます。
過剰な「安全」対策は、地上の人間社会に変な「歪み」を起こすのではないかと思います。
それにしても、海の異変を眺めて「津波」を知り、村人を救った「浜口五兵衛」の「稲むらの火」は1854年、江戸時代の紀州の話です。二日間に亘って不安を煽る。安全の重要性は分かるのですが・・・・。
情報社会って何なんでしょうね??                                  Goto

コメント

  1. リミスキー より:

    あの画面に鎮座した日本地図ですが、地デジ対応テレビですと、結構中央に近いところに表示されていました。多分?アナログテレビで見るとはじっこに位置していたんではないかと思います。デジタルテレビ(ワイドな画面)のはじっこに置くと、アナログTVでは画面からこぼれてしまうのではないでしょうか?(これ勝手な想像です)
    あと、過度な予報の話ですが、保険みたいなもので、万一予想より結果が悪いと、予想した側はぼろくそ・味噌くそに批判されるからでしょう。これもコンプライアンスの弊害なのか?危機管理の行き過ぎなでしょう。クレームが来ないよう自己防御的になっているような気がします。これも我々一人一人が、いつの間にか何にでも平気でクレームをつけたがるような社会にしてしまったからです。自分が悪くても、絶対に認めない、それを認めたら損をするんだ!と教える社会になりつつあります。「ごめん」といった方が負けの社会。これでは話し合いは出来ません。絶対狂っています。天気予報がはずれるくらいで文句をいちいち言われては、たまりませんよ。お天気姉さんも大変です。

  2. ぽち公 より:

    悪く言えば噂話・・と私は判断しています。
    悪く伝えるか良く伝えるか
    悪く受け取るか良く受け取るか
    の、判断を促すのが情報を流す人の使命だと思いますが。
    結局人は悪く言った方が群がるんです。
    全般的な質の問題に疑問を感じます
    何が大切でそういった流れになるのでしょう。。