佞臣

阿諛追従の徒(あゆついしょうのと)との距離を置く年ではないだろうか。
広告屋のブログに書くことなのかどうか?目を覚ましてから、ずーっと考えていたのですが、新しい年の始めに整理しなければならない事だと、意を決して書いて見たい。
私はどうも民主主義を履き違えていた気がする。
「貧しくて賢い童は、老いて、愚かで、最早諌めを入れることを知らない王にまさる。たとい、その王が獄舎からでて、王位に就いたものでも、また自分の国に貧しく生まれて王位に就いた者でも同じである。」
旧約聖書、伝道の書にある言葉で、人は権力を握れば三年でバカになるのが普通であるとの意味です。立憲君主制の時代の話しで現代には通用しないと思っていましたが、そうでは無いようです。
戦後この国に民主主義なるものが定着しました。民主とは「民」、すなわち大衆が主です。
「君」に権力が集中している時代は、臣がしっかりしていれば「民」は被害を受けることはありません。
しかし、権力の周りには必ず「阿諛追従の徒」(イエスマン)が生じます。それを「佞臣(ねいしん)と言います。民主時代の佞臣は民衆にとって耳障りの良いことだけを言って、真の情報を遮断してしまうものを指します。
この国が彷徨に陥っているのは、佞臣が権力の周りにはびこっているからです。そうです。
民主時代の佞臣とはメディアです。
年の始めに私が思ったこと。それは民主主義であっても「民」の周りに「民」を増長させる侫臣がはびこれば間違いなく国は滅ぶということ。この侫臣は「民」の多義にわたる要望を大衆に訴えると言う非常に分かりにくい形の侫臣だから・・・始末が悪い。
それがこの国の抜き差しならぬ現況です。
この不幸な民主主義の時代を克服するには「民主主義とは、民衆の一人ひとりが君主なのだと自覚する」意外には無いのだが。私は、民衆にゴマをするという救い難い阿諛追従の徒であるメディアとの正確な距離を保つ事だと思うのだが・・・・-賢明なあなたは?
「貧しくて賢いはずの童が、佞臣に惑わされ、権力の亡者に成り下がった時、その救いの手が旧約聖書の何処に書いてあるのか?どなたか教えて欲しい。 Goto

コメント

  1. 夏原健次 より:

    いつもお世話になっております。
    対話拡大と対話による理解と変革。この対話拡大のときに誰も関係を切らなければあらゆることに耳が傾きます。誰も関係を切らなければコミュニュケーション能力は飛躍的に向上し、大きな変革へと進みます。ぶつぶつ関係を切ると短期的には良くてもいずれ心身に不安定が生じます。やはり健康はコミュニュケーション能力がかなり関係しているようです。
    皆様のご健康としあわせとご発展をお祈り致します!