応分の責任は取ってもらいたいものです・・・。
あれは一体何だったんでしょうか?岐阜県内の至る所・・・公共施設に、道路沿いに、歩道橋にまでも・・・・まるで、熱病にでも取り憑かれたように「東京から・・・東濃へ」の看板やのぼり、垂れ幕が溢れていたあの頃・・・。
そうです。バブル景気に踊り・・・東京一極集中を排除、国会や政府機能の移転を促す議決が90年衆参両院で可決、99年には栃木・福島地域、岐阜・愛知地域が候補地に決まった・・・あの頃です。
半信半疑ながら・・・ひょっとしたら、岐阜に国会が来るかも・・・なんて、旗振りの当時の知事は元より、県下の政治家も財界人も、結構熱くなっていたのを思い出します。・・・・
その推進部隊である国交省の首都機能移転企画課がこの三月で廃止されることが決まり・・・計画から、20数年、首都機能移転・・話は・・・幻と化し・・・完全に沙汰やみとなりました。
岐阜県は三月県議会に次年度予算案が提案されますが・・・箱モノ県政、イベント県政、バブル県政のお陰で県の金庫は空っぽどころか、借金まみれで再建団体寸前・・・前知事の後始末は・・今も続き・・現知事は苦心惨澹・・・6年連続のマイナス予算を組んで・・・やっと・・・。
県はますます縮まざるを得ない状況にあります。あの頃は・・・あの頃だったから・・・なんて、言うにはあまりにも厳しい財政事情です。あの頃の名士達は老害となって今尚・・地域で跋扈しています。
誰も責任を取らないこの国の体質なんでしょうが・・・宴の付けを・・・何も知らない若者が払うのはあまりにも理不尽ではないでしょうか・・首都移転を煽った政治家、計画を推進した国交省・・・そして、出来もしない夢に・・・県民を躍らせた人達に応分の責任を取って貰わねばと・・・思う気持ちは間違いでしょうか?Goto
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