青臭く

残された時間は、あと1日。
なぜかは分からないのですが。妙に、新聞の明日が心配です。新聞を衰退させはいけない論に、米国で地方紙が撤退した街は「行政が腐敗し、市民の政治参加が激減している」だから、記者を街から消してはいけない。と新聞の存在意義を説く。
日本の新聞界は、ローカル紙。ブロック紙。全国紙と重層的なネットワークがあり、再販制度で守られた宅配システムに支えられているため、地方紙主体で、置き売り中心の米国とは事情が違います。取材空白地域ができる素地は少ない。
しかし、昨今の購読者の減少。広告収入の激減は新聞経営を圧迫。業界は厳しい環境におかれています。今後は、重層的ネットワークは合理化され、再販制度による保護政策、広告費の非課税の廃止も予想されます。
このまま現状を放置しますと、取材空白エリアは徐々に拡大。地域権力を監視する本来の使命を果たすことができなくなるのではないかと、危惧します。
新聞命の私としては、そんな状況が歯がゆくて仕方がありません。
この状況を打開するにはどうすれば良いのか。答えは簡単ではありませんが。少なくとも、新聞人にはあまりにも、危機感、危機意識がないように思われます。
池に藻が覆い始めました。全面を覆うと池は死ぬ。藻は日に倍々と増えて行く。30日で全面を覆い尽くすのだが。今日、半分まで覆っている。後、何日で、池は藻に覆われ、死滅するのか?そんなイソップ物語があります。
答えを申し上げるまでもありません。後がない。ことに気づいていない。気づいていても、まだ、水面は半分も残っている。と、思っている新聞人が多いのではないでしょうか。マスメディアの持つステータスに酔って、自分達が定年までは安泰だと勘違いしているのではと。
新聞人は青臭くなければならないと思っています。新聞の使命、役割といった、根源的な存在意義を忘れてはならない。常に青くあらねばならないと思っています。
例えば、主義主張のない批判のための批判記事。掲載基準も理念もない広告紙面の提供。青さが感じられません。青さがないということは、危機感がうすいってことです。新聞を衰退させない論を論じるよりも、青臭さで、危機感を乗り越える気概を持って欲しいと、心底願います。
残された時間が、あと1日しかないと思うと。Goto

コメント