母親に2票

民主主義の帰着するところはポピュリズム。
これはこどもの日の話題だと。朝日新聞が最近力を入れる「カオスの深淵」(4/23付)を読んだ。
カオスとは「宇宙にできた原初の巨大な空隙(くうげき)」「その空隙があらゆる生(な)り出(い)ずるものの素であり生成へのエネルギーを秘めた生成の場」とするギリシャ神話の一説からなる。
政治のカオスはなにか?民主主義だとしたら、それは選挙と言わねばなるない。選挙の歴史は有権者の拡大にある。財産や身分の高いものに与えれれた「制限選挙」から、貧富の差は関係なく与えれれる「普通選挙」男女の差別を撤廃した「婦人参政権」へと成人市民に広がった。
更には選挙権の拡大を図るべく未成年をどうするのかが。ほとんどの欧州諸国では18歳。オーストリアでは16歳に。ハンガリーに至っては与党が「18歳未満の意見がまったく反映されないのは許されない」と「子育中の母親には、2票を与える」との憲法改正を訴え、全有権者に郵送アンケートで賛否を問うたが、結果は4分の3が反対。断念した。
しかし、高齢者が増えればその声が重視され、若い世代の声が反映し難い情況になる。痛みを伴う政策の先送りもまさに、そこに起因する。ハンガリーの民主主義の根幹を揺るがす「母親2票」説。私は一理あると思うのだが。あなたはどう思うか?
日本でも選挙権を18歳に引き下げる動きがあるが、「十分な判断力がない」との理由で、これまた、先送りされたままである。それも分からぬではないが、民主主義を絶対視する人達が反対するのは解せない。
子供の政治に対する判断力は何歳から付くのか?そんなことは個人差。大人だって大半は政治の判断など付かないのだから(メディアの煽りに翻弄されているだけ)分からない。だとすれば、18歳と言わず、母親に2票も16歳からも、議論して見てはどうか?それがカオスであろう。
スイスでは人間は生まれながらに選挙権がある。と主張する団体があり、中学校の課外活動で「子どもロビイスト」が盛んに行われいるそうな。私は民主主義の帰着するところはポピュリズムに陥ると思っている。
子供の日には子供が政治を考える「子どもロビイスト」の日であっても良いのではないか?
そのくらい、日本の政治は、高齢者ばかりに気を使い、重要な課題を先送りして、子供に負担を押し付けようとしているのだから。Goto

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