居住保障

独居老人世帯構成が全国で30%を超えた現実に、いつまで議論しているのか?
お題目は、もう結構。議論するのにも限界がある。もう、ぼちぼち、どうしたら良いのか?から、どう行動すべきかに舵を切る時ではないだろうか。
若造に高齢者の生き方。生きてきた苦労、努力のなにがわかる。この国をこの社会をここまで築いてきたのは、先輩のおかげ。年長者に感謝の気持ちを持ってこそ、社会の秩序が保たれるというもの。最近の若い連中は敬老精神が足らぬ。そんな、儒教の精神を盾に、高齢者のわがままが罷り通っている。前期高齢者目前の私。そのわがままが気に入らない。
少子高齢化が叫ばれ、何年になるだろうか?超高齢化社会が訪れる、早く対処せねばと政治課題化して、どれだけの歳月が流れたか。20年では効かないのではないか。でも、にも関わらず。未だに社会保障をどうすべきかを、喧々諤々と論じている。好い加減にせよと、言いたい。
人とは別だと前置きせねばならないのが。如何にも歯痒いのだが。
すべての生物は、種の保存能力を失えば朽ち果てるものである。それが自然の摂理である。
統計を信じたくはないが。この国は50年を経ずして、人口が8000万人台となる。少子化が是正されないのだから。移民を受け入れない限り、当然そうなる。
そうなれば、小規模都市で人口減が進み、1万人以下の都市は人口が半減する。高齢化で生産人口は4割減り、北海道・東北・北陸・中国地方では半減する。農業など、労働集約型の産業は成り立たなくなる。それに現在人が住んでいるエリア(田舎町・村)の4分の1が無人、無居住になる(三菱総研)
そうならないことを願っても。そうならないための議論をいくら、積んでも。分かっていながら、国民的合意を得るになんの手だても講じなかったのだから。間違いなしにそうなる。
だとすれば、もう、議論など糞食らえだ。自然の摂理に沿って、強引に物事を進めるしかない。
で、今から、政治が。いや、我々高齢者がやらなければならないことはいくつもない。高齢者のわがままに耳を貸さない。無視する。そして、理想の文化的、最適なコンパクトシティーを作り、そこに高齢者を無理やり、集めるべきだ。(如何にも乱暴ですね)
山間僻地を終の住処と、そこを動きたくない。そんな高齢者のわがままは許されない。
居住エリアが広くまばらでは、行政サービスがでいない。だから、広域の中心都市に高度なサービスが集中できる「コンパクトシティー」を作りそこで、老後を暮らして貰ういがいに方法はない。
そうしないと。若造に迷惑が掛かる。種の保存のできない高齢者は、無為に若者を縛ってはならない。そうならないために。「コンパクトシティー」を作るべく行動を起こす時である。
それが、先進国では、社会保障や社会政策を推進する前に、いの一番にやらねばならない居住保障である。居住保障政策の経済的効果を論じるつもりはないが。全国の世帯で既に30%は独居老人の単身世帯であることを鑑みれば、誰もが、この乱暴な意見を、前期高齢者が声高に叫ぶことを、否定できないであろう。議論はいらない。行動だ。Goto

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