防衛白書

国防・安全保障について、真剣に考えたい。
自虐史観で育ち。非武装中立お嬢様路線を旨とし。戦争の「せ」の字を聞けば、思考停止、反戦こそ正義と信じ。米軍基地撤去を訴え。自衛隊を否定して。平和は外交で何とかなると超楽観。
そんな平和主義で国際社会は乗り切れない。井の中の蛙だと非難されても、蛙のツラに小便。争いごとはすべて悪。世の中に悪い人も。ひどい国もない。世界は一つ。人類みな兄弟。平和主義こそ絶対。そんな平和ボケ思想を支えているのが朝日新聞や毎日新聞だ。とは言わないが。
各申す小生も。発言や、行動は多少過激だが。一皮剥けば、戦後民主主義の申し子のようなもの、米軍の新型輸送機「オスプレイ」が米軍基地に配備されるとなると。間髪いれず反対と叫ぶ。平和ボケそのものである。(最近、少し変わってきましたが)
だから。防衛白書なんて、読むこともしないし。存在すら認めたくなかった。でも、よく考えてみると。この国が戦後67年間。平和であり続けたのは。米国の核の傘に護られ。従属国を甘んじてきたからそれが許された。(それも東西冷戦までだったのだが)
それ以降も何とか平和が保てたのは、経済大国であったから。
決して憲法や平和ボケメディアが平和をもたらしたのではない。と、思うこの頃。
で、始めて防衛白書なるものに目を通したが。そんな平和ボケメディアを配慮してか?
文章全体が。配慮、配慮の塊。中国の異常なまでの防衛費の膨らみ。軍事力の近代化、南・東シナ海での強硬な軍事活動。軍事・安全保障に関する不透明にたいする危険にも「懸念事項」なんて、生ぬるい表現を使い。
中国・人民解放軍の動向でも、中国共産党の統制力が弱体化、軍部と文民指導者との間に意志の疎通がなく、尖閣諸島の問題では「非平和的手段」を主張、軍事的施設建設を求めたりと、ナショナリズムの台頭を恐々指摘している。
本来、防衛白書なるもの。隣国との緊張関係を報告する場合などは、ストレートに述べるものだと思うのだが。「危機管理上の課題」などと、如何にも弱々しい。何となく平和ボケの延長線上に防衛白書もある気がしてならぬ。
それで、平和が保たれるならば。それでようのだが。いたずらに緊張を煽るのも問題だが。もう少し、軍事的配慮の必要性を恐れず解いても良いのではないか。独立国の防衛のあり方、方向性を鮮明にした方が良いのではないか。と思う。
それを。料理するのが政治であり、国民の判断なのだから。
国内の世論調査では「中国に良くない印象を持っている」が84,3%。その理由が「資源やエネルギーの確保で自己中心的」54,4%。「尖閣をめぐる対立」が48,4%を占める。大国意識を強めた中国を不気味だ、不安だ。「中国はけしからん」という風潮が蔓延する。
40年前。日中国交正常化の折「善隣友好関係の発展は、両国国民の利益に合致し、アジアの緊張緩和と世界の平和に貢献する」と両国は高らかに謳い上げたのだが。戦後67年。平和ボケでは通用しなくなってきた気がする。防衛白書もちゃんと読んで、国防・安全保障について真剣に考えたい。Goto

コメント

  1. レモンハート より:

    こんばんは。
    今の日本。経済は見事に悪化し諦めという言葉もちらほらでてきました。外交も同様です、隣国に足元を見透かされていることを国民は肝に銘じなければいけません。相手国の挑発が止まりません。防衛費も下がる一方です、悲しいことにこれじゃあ国を守るという姿勢が相手国に伝わりません。アジア全体の平和を守るという気概を持ってほしいです。どうしてこんなにも日本は経済も地域安全も無為な国になってしまったのかと思います。