新聞の立位置

新聞記者なんて、偏狭な職業なんだから。
最近、新聞記者が小・中・高校、大学などの教育期間に授業や講演に出掛ける記事をよく見かけるようになった。新聞活用を盛り込んだ新学習指導要項が順次実施され、教育現場からの要請によるものだろうが。果たして、記者の出前授業って、大丈夫だろうか?
テレビの報道系番組にも、コメンテーターに新聞記者が起用されている。取り分け、したり顔で、政治や社会を論評するのを聞くと、違和感を覚えて仕方がない。新聞とテレビは違う。記事はじっくりと考えて書かねばならないが。テレビは一瞬の言葉。新聞記者の仕事とは思えない。
「教育の毎日」を自認する毎日新聞が「記者派遣」に熱心。社内に「教育サポーター制度」を設け、講演実績を持ち、教育現場の評価の高い記者を教育サポーターとして、認定。積極的に派遣するそうである。
記者は教育現場で、何をテーマに発言するのか?新聞記者の仕事。インタビューの仕方。原稿の書き方。新聞の作り方。大震災・原発・地球温暖化・沖縄基地・平和と戦争・裁判員制度・消費増税・年金制度・広告マーケティングど、様々な社会テーマを語るのだそうだ。
毎日新聞の場合。脱原発。反基地。消費増税反対を鮮明にしている。それを教育現場で話すのだろうか?偏狭教育ではないか。記者の仕事を始め、新聞の紙面づくり、レイアウト、見出しの付け方を教えるに意味があるのだろうか?新聞作りが教育とは片腹痛い。ましてや、新聞記者にマーケティングが理解できるとは到底、思えない。
新聞命の私としては。教育に新聞が活用される意味を勘違いしてはいけないと思う。
新聞に掲載された、記事。それは現実の事象。それを読み取ることによって、社会を知る。その背景を理解する。社会の仕組みや成り立ちを学ぶためである。
新聞の果たすべき役割や使命を教えることではない。新聞記者の主張や考え方を聞く機会でもないし、新聞の作り方を学ぶ場でもない。新聞の作り方なんて、日進月歩。新聞社自身が悩み苦しみもがいているのだから。「教育に新聞を」を勘違いしない方がよい。
うがった、ものの見方だが。お許し願おう。
新聞が教育現場に取り入れられるようになったのは、あまりにも、教師が社会に疎いからである。新聞を読まない(未購読)教師の数を調べたことがあるのか?45%に達したと聞く。
新聞社が、今い、やらねばならないことは。出前授業などと称して、新聞記者を教育現場に送ることではない。新聞記者は、事件の現場に足を運び。地に付いた記事を書くことであり。幹部は、自ら教師の前に立ち、新聞を読めと教師に訴え。そして、教師自身が新聞を理解して、新聞での教育ができるようにすることではないだろうか。
新聞は、そんなにたいそれたものではない。
教育現場で活用されるようになったからと、奢ってはならない。ましてや、新聞記者などという職業は、社会を斜めに覗き、社会のあら探しをする偏狭な職業なのだから。Goto

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