既視感と未視感の狭間

人生わずか五十年、化天の内にくらぶれば・・・夢幻の如くなり・・・
この光景。以前どこかで見たことがる・・・。子どもの頃の記憶を辿る。でも思いあたらない。夢だったかもしれない。そんなこと感じたことはありませんか?私の場合は、酒呑みですから大概は、酔っぱらいの時、そんな場面にでくわしたんだろうなんて、片付けちゃうんですが。
安倍さんと麻生さんが並んでニュースに登場する。いつか見た気がしますよねぇ。東日本大震災の被災地は関東大震災、太平洋戦争敗戦時の被災、阪神淡路大震災と重なって見えませんか。
実際には体験していないのに。
日本の話だけではありません。お隣の韓国の朴大統領の公約って、リベラル陣営が主張する「福祉政策」と同じに感じるし。安部政権の経済再生って李前大統領の経済政策と似ている。
イタリアなどの先進諸国が国内総生産比債務残高を抱え込んで、財務危機を解決できない民主主義制度と高齢化という「人口動態の危機」で、崩壊ではなく、低成長と停滞の継続に陥いる様なんて、日本経済の生き写しとしか思えない。すでに何処かで体験したことのように感じる。
これらの現象を、既視感と呼ぶのですが。既視感とは・・夢と現実・・・化天の区別がつかない無力感を指します。このような無力感を呼び込む既視感から世界は脱却できるのだろうか?と問うのは毎日新聞2月の「論壇をよむ」の一説。
既視感の反対は初体験を意味する未視感。既視感と未視感の狭間に現実があるとしたら。
現実そのものが、既視感なのかも知れないと思う私のこの頃は・・・。化天の境目がなくなってきた老化現象なのか?それとも酒の飲みすぎだろうか?
人生わずか五十年、化天の内にくらぶれば 夢幻の如くなり・・。Goto

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