新聞週間

衣の下に鎧が見えて仕方がないのですが?
今年も「春の新聞週間」が明日で終わります。取り立てて特別な行事があるでなし。何か物足りないのですが。今年の特徴は「新聞の役割と消費税」ついて論じられたことでしょうか。
元総務相の片山善博慶大教授は「新聞には権力に迫り、情報公開させる役割がある」と役割を強調。消費税の軽減税率適用には「人間には身体の栄養と心の栄養が必要、心の栄養部分である新聞、書籍が課税によって縁遠くなってはいけない」と賛成の意見を。
日本NIE学会長を務める広大の小原友行教授も「新聞を読むことは、普段から健康な体をつくるようなもの、社会や人間への関心が深まれば学習意欲も湧く」と片山氏同様、その必然を説いている。軽減税率については、情報は生活必需品。東日本大震災の際、食べ物と同時に石巻日日新聞の壁新聞に代表されるように情報が求められたことでわかる・・・欧米各国で新聞に低い税率が適用されているのは、その理由からと。
お二人の説く新聞の役割については理解できるのだが。
ドナルド・キーンコロンビア大学教授は、親交のあった作家高見順を引き合いに「戦前、真実を伝えず、大本営発表を垂れ流した。敗戦に対する責任は新聞にだってある」「新聞は報道の自由を自らは勝ち取れず、敗戦後の占領下、米国によって与えられた」高見はそれを「恥」としていたと「新聞の本質に迫り」手厳しい。
新聞協会にとって、消費税の軽減税率の適用を政府に認めさせることは、民主主義を育て平和を守る上でも譲れない一線であろう。であるとするならば。ドナルド・キーン教授があえて「新聞週間」の寄稿に高見順の憤った「恥」に恥じる紙面はないのか。筆を曲げることはないのか。そのことに真摯に向き合ているのかとの問い掛けこそが、課税の問題よりも「新聞週間」で新聞が問われていることでは・・・
私は消費増税賛意の論陣を張った新聞各社が軽減税率を求めるのは、自己矛盾だと思っています。欧州と日本が、消費税に対する考え方で一致せねばならない理由はどこにも見当たりません。むしろ、税の公平性から、軽減税率そのものを否定すべきではと思っています。
話は全く変わりますが。私が求める「新聞週間」の取り組みは、例えば、毎日新聞の月曜日。週間のテレビ欄が2頁に渡り毎週掲載されていますが。その紙面。読者は読んでいるのでしょうか。見ているのか。利用しているでしょうか。私は誰も見ても読んでもいないと思う。にも拘らず、毎週掲載するのはなぜなんでしょう。
毎日の編集部には、一度決めたことは無駄でも、誰も読まなくても変える情熱もエネルギーもないってことでしょうか。時代は変わりつつあります。ネットでもテレビからでも週間の番組など見ることができます。にも拘らず。旧態然と・・・紙面の刷新こそが、新聞週間のテーマであってしかるべきでなないかと思います。
それと、「新聞週間」に新聞の役割を語りながら、軽減税率適用の賛意を語らせるのは頂けません。これこそ我田引水ではないでしょうか。大義名文の衣の下には、消費増税で、読者離れが進み、経営圧迫を恐れるあまりの・・・鎧が見えて仕方がないのですが、下衆の勘ぐりでしょうか?Goto

4/8毎日新聞

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