本のオビに思う

本を読むことは知的欲求を満たすための生活様式ではないでしょうか。
「日本の本は、装丁という点では、世界に群を抜いた存在だ。欧米や中国の本はたいていカバーもなく色目も地味。本は中身だと言いたいのだろう。そっけないくらいである。日本人は品を贈るとき、箱や包装紙を大事にするように、本の場合も、まるでお出かけの衣装のようだ」
「表紙の上にカバーをかけ、しかもそのカバーにコーティングを施し、さらにその上にオビをつけ、ときには紙箱に入れてさらにその上にもオビ掛けもする。そして、装丁とオビのデザインにも凝る。十二単のような演出をする」と語るのは日経(9/11付・朝刊)ART REVIEW「紙で守る」に掲載された哲学者鷲田清一氏の本のオビについての一文です。
オビを付けた造本の仕方は、諸外国には見られない日本的なモノで、オビに込められた思いは、作者の意図を簡潔に表し、編集者の情熱の塊と、そして出版社の売らんかなの思いが交差したシロモノで、いまや文化と言えるのではないでしょうか。
鷲田氏は「オビは作り方は難しい・・・目立たせようとすれば、装丁家が考え尽くしたカバーデザイン、とくにその配色の妙を乱してしまうし、逆にカバーにマッチしすぎると表紙に溶け込んでしまい、オビの意味がなくなる、とても難しい。難しいからこそ文化である」と。
私は広告も文化だ思っているので、本のオビは本を売らんとする広告、だから文化と捉えて不思議はない。しかし、過剰包装には疑念を抱かざるを得ない。出版業界不況の煽りなのだろう。昨今の本は値段が高すぎる。オビは文化の様相よりも価格を釣り上げる材料に利用している気がします。
それでは文化とは言えない。文化論を述べる勇気はありませんが。少なくとも文化とは生活様式。本は知的欲求を満たす生活様式だと思っています。生活様式はシンプルであることがベスト。特殊な本は除き、欧米や中国の本が、カバーもオビもなく、中身で勝負。そのためにはできるだけ、廉価に提供しようという姿勢にこそ・・・文化を感じるのですが?Goto

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