銀杯

概算要求過去最大102兆円、大丈夫でしょうかねぇ。
敬老の日が近づいてきました。長幼の序で、年配者を敬うのは日本の美徳。年配者を敬うってことは、子孫を大切にすることです。わざわざ特別の日を設けて祝うのも、高齢者の身になって思えば、妙に悲しいモノです。日本人の矜持としてごく自然に敬老の精神が身につく社会になればと願います。
今年の敬老の日の話題といえば、厚労省が毎年9/15に100歳以上の高齢者に贈呈する「銀杯」を経費削減で「純銀から銀メッキ」に変更する話でしょう。そもそも論を申し上げるのもおかしな話ですが。100歳を迎えた人が「銀杯」など欲しいのか?
スタートした年が1963年といいますから、50年以上も前。当時の対象者は約150人。それが今年度では約3万2000人に増え、予算は3億円近くを計上しています。こんなに長生きするとは思わなかったと、発案した政治家なのか、行政なのかわかりませんが、呆れかえっているのでは。
長生きが問題ではありませんが。100歳に意味がなくなったのではと思いたい。何事もそうですが。この国の特徴なのかも知れませんが、一度決めたことを見直す勇気がない。公共事業でも、無駄だとわかっていてもやめられない。だから、国家予算も毎年肥大化し続けます。
長寿祝いの「銀杯」と国家予算を結びつけるのも些か気が引けますが、16年度の概算要求が遂に100兆円を突破。天文学的数字になりました。詳細は後日、内容をじっくり見てみたいと思いますが。取り敢えず、「銀杯」をメッキに変えるなどせこいこと考えず、止めてはどうでしょう
それで、3億円の予算削減ができるのです。100歳になられた方に、子々孫々のために「銀杯」を止めますと頼めば、すべての人が、了承されますよ。なぜなら、高齢者には「敬老の精神」が残っているからです。Goto

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