「ら抜き言葉」に思う

読売「編集手帳」の書き手が日本語の文字や言葉を守って行くのでしょうね
スマホのメールで・・・どうも苦手なのが「絵文字」です。
文章は文章として、キチッと書いた方が良い。相手に失礼だと思うからです。
漢字はそもそもが「象形」から派生したもの・・「絵文字」も象形です。
そんな硬いこと言わなくても・・
伝達手段なのだから「意味」や「意図」が届けばそれで良い。
そんな意見も頷けるのですが・・・時代に沿って変化するのも良しとは思うのですが、
便利さや、簡易さは時代の流れです。いずれはそうなるのでしょうが、
そうはさせじと抗うのも、また、一考ではないでしょうか。
朝日の「天声人語」。私が歳を重ねたせいなんでしょうが、
如何にも軽い。いや、無理に左に寄せ・・上辺だけ滑っている内容が多い。
弱者の側に立つスタイルが、偏見に思えてならない。それを軽い・・と言いたいのですが。
一方、読売の一面コラム「編集手帳」。
「言葉は知性だよ」そんな重厚さが滲んで私は好きです。
文化庁が「国語に関する世論調査」で文法的に誤りとされる「ら抜き言葉」を
使う人が1995年度の調査開始以来、初めて多数になったと発表。
うぅーん。偉そうなこと言う・・私も平気で「ら抜き言葉」使ってます。
「使ってます」も文法的には「使っています」ですよねぇ。
これは「い抜き言葉」ですが、まだ多数派ではないようです。
「ら」は「初日の出が見られた」ではなく「見れた」という誤用が常套句なった。
時代の移り変わりと言うべきでしょうね。
「編集手帳」氏・・・太宰治は「道化の華」で・・心中を図って女が死に、
男が生き残る。看護婦は男の顔を見ぬやうに努めた。気の毒で見れなかった。など・・
「編集手帳」氏・・文学作品から「ら抜き言葉」を拾い出し、
メモして苛立ち封じのお守りにしていたと。
なるほど、文章を生業とする方の心構えは違うものだ。
氏曰く・・可能、尊敬、受け身に使われる「…られる」に比べると
「…れる」は紛らわしくなくて使い勝手がよい・・と言われるが・・
高跳びのバーを低くして技術の水準が上がるのか・・・と憤る。
私もそう思います。
頑なさ、頑固さで「正しい文法的は正しいのだ」そう言える・・・
故阿川弘之さんのような文士が「編集手帳」氏なのでしょう。
日本語の文字や言葉文化はこんな頑固さが守って行くのでしょう。
きっと氏は「絵文字」などせせら嗤っているでしょうね。Goto

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