一億総覗き魔

大宅壮一的、骨のあるジャーナリスト出でよ・・・
テレビが時代を席巻し始めた頃・・1960年代・・
テレビの本質を見抜き、気概を持って批判するジャーナリストがいた。
ネットが台頭する今、そんな人物がいないのはなぜだろうか。
1956年11月7日付、東京新聞朝刊・・・テレビ放送開始3年目
世帯普及率2%、観客動員10億人の映画全盛時代に・・・
ジャーナリスト大宅壮一は「最高度に発達したテレビが、
最低級の文化を流すという逆立ち現象、マスコミの白痴化がいちじるしい」と
テレビの本質を見抜き批判した。
これが「一億総白痴化」の流行語となった。(毎日2/1・オピニオン)
テレビが電気紙芝居と言われた頃に、大衆の欲望を動かすテレビの
すごさを見抜き、メディアの「怪獣」とも言った。
同時に大宅は「一億総白痴化はテレビの悪い面を端的に表現したものである。
しかし、テレビは極めて有意義な面があることも見逃せない。
視聴者が出演者の言葉に賛成したり、反発したりするとともに、
自分で考え、自分自身の意見をまとめるチャンスが与えられるからだ」と
テレビの功についても論じている。
あれから、半世紀。日々垂れ流されるテレビ番組に、大宅の言う功はあるのか。
ゴールデンタイムに放送されるバラエティー番組、出演者のバカ笑い。
保身ファーストで構成される報道もどき番組。
考える面倒を逃避する視聴者に問題があるのか。
それともネットの台頭で、大宅的功はネットに移行し、
テレビの賞味期限が切れつつあるのか。
いや、ネットの功罪を冷静に見つめ、ネットの本質に迫り
大宅壮一的批判をするジャーナリストはいないのか。
それとも、放送であるテレビと通信であるネットとの融合期に
まだ、誰もその先が読めていないのか。
私は匿名で言いたい放題のネット、インタラクティブに対応できないテレビ、
その融合は国民を「一億総覗き魔」に仕立てる・・・
「軽薄な時代」の幕開けになってきたのではと危惧する。Goto

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