寄り添う

平成30年、天皇陛下誕生日の記者会見に学ぶ。
小晦日(こつごもり)と読みます。今年も今日と明日、二日間を残すのみとなりました。
今年は例年にも増して厳かな年の暮れだと思いませんか。
私が古希となって、残り人生が見えてきたから、ではまったくありません。
平成最後の天皇誕生日、陛下が述べられた心境……新聞紙面で何度も読み返し、
「もう二度と誕生日に言葉をお聞きすることことがない」思うと……
「如何なる時も如何なる場所でも、常に「国民に寄り添う」ことを
第一義に心掛けてこられた象徴天皇のお姿に思わず背筋を伸ばし、
ゆく年、平成30年間「厳か」にならざる得ません。
「お言葉」で私がいちばん感じたこと。
背景に「日本では、どうしても記憶しなければならないことが四つあると思う。
終戦記念日、広島の原爆、長崎の原爆、そして沖縄の戦いの終結の日」(81年夏)
「反戦」こそが国民の安寧であり、先の戦争犠牲者に寄り添うことが
象徴天皇の務めであるとお考えになられてこられたことです。
「沖縄は、先の大戦を含め実に長い苦難の歴史辿ってきた。
私は皇后と共に11回訪問を重ねその歴史や文化を理解するよう努めてきた。
沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私どもの思いはこれからも変わらない」
「お言葉」を歪曲化してはならないが、
「辺野古に基地」をつくるため、民意を無視して、政府は海洋の埋め立て工事を強行した。
そこに暮らす人々の思いに寄り添いたい、政府の姿勢はそんな思いと
乖離しているのではないか。同時に言葉にはされないが、北方領土から締め出された
島民にも寄り添われているのではと読み取った。
「お言葉」からの思いは尽きないのですが、もう一つだけ。
実に示唆に飛んでいると私が勝手に思うのは、「今年、わが国から海外への移住が
始まって150年を迎えた。この間、多くの日本人は、赴いた地の人々の助け受けながら
努力を重ね、その社会の一員として活躍するようになった」
「近年、多くの外国人がわが国で働くようになった。各国からわが国に来て、
仕事をする人々を、社会の一員として私ども皆が温かく迎えることができるように
願っている」……先の国会での入管法を巡る議論、虚しさを感じませんか。
私はこの国の国民が、日に日に身勝手になり、自分さ良ければと自己中心的に
なっていく様を、「果たしてそれで良いだろうか。常に自省を繰り返され、
自らがどうあるべきか、どうあらねばならないか」を突き詰めてこられた。
そんな「慈愛に溢れた」誕生日の「お言葉」であったと背筋が伸びました。
凡人には平成30年に思いを馳せるなど到底できないが、
責めて、2018年がどんな年だったのか、小晦日に「寄り添って」みたい。Goto
別件です。
門松代わりに本社玄関に一年を通して飾っている縁起物「南天玉」
2018年度用に感謝して、別れを告げ、2019年度用に取り替えました。
(写真参照)
IMG_7731.JPG
左:2018年度用    右:2019年度用
IMG_7736.JPG
 

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