あの時を忘れない。

ちょっぴり不遜かも知れませんが、風化させないために。
殺伐とし過ぎていませんか、世の中。
原因がどこにあるかは、様々で答えは見つからないのですが。
はっきりしていることがあります。僅か8年ですが。損を粋だという概念が薄くなった。
愛読のみやざき中央新聞からです。
「粋」なんていうと、「なんじゃそりゃ」と思う人が多いでしょうが、
江戸時代の江戸ッ子の美学で、「粋でいなせな若い衆」なんて言葉があります。
「あの人は粋だね」なんて言われると、最高の褒め言葉だった。
その一つに「金離れが良い」がある。「金離れが良い」とはお金に執着しない。
「金は天下の回りモノ」一度出ていったお金にはとやかく言わない。
金離れの良い人たちによる「循環型の経済社会」の象徴です。
だから時代劇では……「お代官様これを」……「越後屋お主もなかなかじゃのう」
なんてシーン。金を貯めこむ、商人は「粋ではない」悪人といわれます。
「落語」の「三方一両損」は損を粋だとする江戸ッ子の美学です。
神田の左官職人、金太郎が三両(今の20万円ほど)入った財布を拾う。中に「書付」が。
そこに落し主、吉五郎の名が。金太郎、吉五郎にわざわざ届けに行く。
吉五郎「一旦懐から出したモノは俺のもんじゃねぇ」「おめぇのモノだ」と受けとらない。
突き返された金太郎「人様のお金を拾い、それをもらい受けて喜ぶのは
江戸っ子じゃねぇ」と譲らず、挙げ句の果てに喧嘩。お互い奉行所に訴えた。
裁くはかの名奉行「大岡越前」、双方の話を聞いて「三両奉行所で引き取る」とした。
そして自分の懐から一両加えて四両に。「二人の心意気への褒美」であると、
二両づつ与える。吉五郎は三両戻るところが二両に。金太郎三両もらえるのが二両。
奉行も自分で一両出し。三者が共に一両づつ損をの名裁きで円満解決。
これを「粋だね」っていう。お金は粋な使い方をした時、
その価値が発揮されるっていうもの、これが江戸文化で、
日本人の「損を粋だね」っていう概念です。
あの大震災から8年。日本人は「何とかしなきゃ」と……誰もが心を痛め、
ある人は被災地にボランティアで駆け付け。ある人は手持ちの金を復興にと寄付し、
ある人は物資を送り届け、ある人は神に祈った。
こんな表現をするには亡くなった人とその関係者を思うとあまりにも虚しいが。
あの時、世界中の人が「日本人って」と驚いたのは事実です。
その根底に江戸っ子の「粋」があったのではと思う。
3/11。我々はまだ、やらねばならない「粋」な計らいがあるのでは。Goto

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