不便益

時代は便利さと効率を求め過ぎてはいないか?
こんな商品に何の意味があるのだろうか。
「素数ものさし」目盛りが1センチ刻みではなく「2、3、5、7、11……」と
素数のみで表示されている。(素数、1と自分自身以外約数を持たない数)
1センチごとに目盛りがついていないと、4センチは7引く3センチと計らねば
ならない。「面倒で不便」なものさしです。(京大生協の定番お土産だそうです)
他にもゴミを認識して近寄るが、周りをウロウロしてゴミは拾わない
「ゴミ箱ロボット」もあるとか。どんなんなの。
とかく、世の中、便利さと効率を求める時代です。
しかし、不便ゆえの楽しさを製品づくりに生かす、第4次産業革命と
真反対の不便であることの利便性と申しますか「不便益」なる考え方が
工学研究者の間でにわかに注目を集めているそうです。
野菜なんてスーパーで買えば便利なのに、家庭菜園でわざわざ育て、
食べ切れないと、近所に配る。意味もない「不便」極まりない話ですが、
収穫の喜びという「益」を得ることはできる。対義語は「便利害」だそうです。
「不便益」のこんな事例(毎日オピニオン、6/25)があります。
山口県ディサービスセンター。わざと階段や長い廊下を設け、
「福祉施設はバリアフリー」の常識を覆す。利用する高齢者に頑張ってもらうため。
筋力や認知機能の衰えを防ぎたいとの思想が背景です。不便の価値ですね。
「不便益」の狙いは、人とモノとの関係を考えるとき、技術は人を孤独にするのではなく、
人の頑張りを「生かしたり、支えたり」するものでありたい。
欲しい本があればネットで注文すれば「便利だし効率的」です。
でもなぜ、本屋にわざわざ行くのか、知らない本と出会える「益」が
あることを知っているからです。(本屋に行かない人にはわからない)
「お腹を引っ込めたいから一駅前で降りて歩くのではなく、ひと駅前で降りて歩く不便を
楽しむことでお腹が凹んだ」と不便が「楽しい」と考えることができるならば、
世の中、何でもかんでも便利でなくても良い。むしろ不便で良いのではないか。
そこで私は考えた「新聞って」ネットで情報が取れる時代、
毎朝ポストに届き、手に取り、1ページごと捲って(インクで手が汚れるのに)
視覚いっぱいの紙面を選んで読む、実「面倒で、不便」です。
でも、「新聞を日々読むこと」で社会を知り豊かさを身に付けることがでます。
そう考えると、「新聞ほど愛おしい」「不便益」はない。Goto

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