新聞の使命とは、記者の丁寧な取材と正義感ではないか。
こんな視点で記事を書くのが社会派の記者なのでしょうか。
毎日新聞オピニオンページ「記者の目」から「8050」問題を扱った記事です。
「8050」問題とは50代の無職や引きこもりの子を80代の親が養う世帯の苦境を指すことです。
記事は記者がこの問題を丁寧に取材して・・・その結果ではないのですが。
行政は孤立死の実態を調べ、関係機関や地域で情報を共有して支援に繋げるべきであると、
支援の手が届かぬから親子は孤立死するのだと結論付ける。
また、他の件では80代の母親と50代の娘が「餓死」した。
娘には知的障害が母親には認知機能低下が、親戚も近所の人も手の施しようがなく、
餓死した。高齢化と貧困、複雑な要因が重なって不幸を招いた。
東京都の事例では団地の一室で82歳の母親と43歳の次男が病死した。
長男が何度も呼び掛けたが、身内さえも拒否して家に入れなかった。
行政はこの家庭に支援が必要とは認識していなかった。
大阪府泉佐野市の例は82歳の母親と60歳の引きこもり長男。
母親の年金が生活の糧、近所の人たちが食事の世話などで支援していたが、
感謝の言葉もない長男の態度に心が折れ放置。事情を知る自治会の役員もいたが、
市にはその声が届かなかった。
記事はこう続ける。心身の障害や引きこもりや高齢化などが重なる子を持つ家庭については
地域住民や福祉事業者、行政などが積極的に情報を集めて共有し、
支援を図る仕組みが必要だとして、社会派的な発想で、行政と世間を責める。
果たしてそうだろうか。
「8050」家庭は一律同じではない。それぞれがそれぞれの事情を抱えている。
それを、近所の誠意が不足している行政の怠慢だと言い切れるのだろうか。
逆に言えば、これだけ民主主義だとか人権だとかプライバシー、個人尊重が
叫ばれている国で、自ら引きこもり世間と距離を置く親子をどうすれば良いのだろうか。
今年6月、引きこもりや介護、貧困など分野をまたいだ課題を抱える家庭に
市区町村が役所内で情報を共有し、ワンストップで対応できるよう
国が支援する改正社会福祉法が成立した。
厚労省も15年度から生活困窮者の自立支援制度で相談や支援をした世帯を手掛かりに
「8050」など孤立した世帯の実態把握と支援策の検討に動き始めている。
社会派の記者の真摯な取材と心のこもった記事が福祉法の改正につながり、
厚労省を動かしているとしたならば、これぞ、新聞記者冥利に尽きるというものだ。Goto
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