神は罰したいと思う人間から最初に理性を奪う・・・
ウクライナ戦争、どうも長引きそうな気配です。
ロシアが戦線を東部に絞って再構築、2州を抑え独立させ、
再びキーウに向かう戦略のようです。プーチンは何を考えているのでしょうか・・
「神がなければ全て許される」亀山郁夫さんがドストエフスキーの
小説「カラマーゾフの兄弟」を新訳した一説に出てきます。
何度もチャレンジしてなかなか完読できない何とも難儀な本ですが・・
プーチンのウクライナ侵略について亀山さんが納得の分析をしてくれました。
ロシアの世論調査でプーチン支持率が80%強と出ていますが、
あながちこの数字はフィクションではない。この数字に示された「愛国心」は
嘘に固められた国に生きる屈辱と恐怖の大きさの証ではないでしょうか。
なぜなら、ロシア人たちはプーチンの肖像画をまるで正教信者が肖像画を
敬うように敬っているからです。支持率は「天に届いた」と表現されています。
「神は罰したいと思う人間から最初に理性を奪う」・・というラテン語の諺があるが、
私はそれを思い起こしていると・・・・
プーチンは熱狂する国民を道連れに、すでに歴史の外に出て、
歴史に対して復讐しようと目論んでいるようにさえ思える。
歴史の外に出れば裁きの恐怖から逃れるでしょうから・・・とも言う。
なるほどと、思わず亀山さんの説にうなずいてしまいます。
プーチンの狂気には緻密に計算された侵略を正当化する論理があります。
ウクライナ側が犯したミンスク合意(ウクライナ東部紛争を巡る和平合意)からの
逸脱という口実です。同時にプーチンは正教徒としての強烈な使命感を持っています。
理性では抗えないほど彼の精神に深く取り憑いてしまったのか、
それとも演技なのか、はたまた侵略のための口実なのか、境界線が見えなくなっています。
プーチンの、観念的なものへの過度の思い入れが一番厄介なものです。
ドストエフスキーはそうした気質を「ベッソフシチナ(悪魔つき)」と呼んでいました。
ベッソフシチナとは「世界と人間の意識の破壊原理を意味する社会文化現象」と定義できます。
「罪と罰」(これも読み難い辛抱のいる本です)の主人公は2人の女性を殺しておきながら
ほとんど罪の意識にかられることはない。
正当な理由があれば、天才は、凡人の権利を踏みにじることができるとまで、
豪語しています。「正当な理由」というのがくせ者で、そこに論理のすり替えと
善悪の概念、倫理的概念の完全な喪失がうかがえますと・・・
なるほどと思いませんか。
プーチンの思考回路はドストエフスキーの小説が見事に言い当てています。
プーチンは天才だと思っているのですから、実に恐ろしい話です。
「神がなければ全て許される」・・・・まさに「ベッソフシチナ」です。Goto
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