ブリコラージュ

讀賣新聞「ニッポン2050」提言にこれぞ新聞と敬意を表す。

私は「新聞命」(しんぶんいのち)です。新聞の休刊日ほど淋しい日はない。
インクの匂い。紙ずれの音。踊る紙面を楽しむ日々です。最近はネットの情報で「ニュース」は
事たれりと、新聞を見向きしない人が増えました。

それをご時世だと仕方がないと諦めかけている新聞人がいると思うと腹立たしい限りです。新聞の役割や使命に終わりなどない。新聞人こそがニッポンの現状を憂い、ニッポンの未来を示唆しないで、誰がやるのか。国会議員の半数以上が「世襲」そんな国が世界にありますか。ましてや先進国で。

おんば日傘で育ち「人が生きる」ことがどんなことかなど考えたこともない彼らにニッポンの未来など語れる筈がない。政治家に代わって論陣を張って未来を語れるのは新聞だけである・・・と私は思っている。全ての日刊紙にその気概を持って欲しいと心底願う。

今、新聞で腹を括ってこの国の未来への提言をするのは、私の知る限り讀賣新聞だけである。朝日など「貧すれば鈍す」と申しますが、部数の落ち込みによる経営難が背景にあるのか、批判のための批判すら筆が鈍っている。ましてや、この国の未来に対する提案など朝日の紙面に掲載されたことなどない。

私的には平和を標榜するなら。朝日が得意とする。中国との向き合い方を中心として国際社会における日本の将来を提言すべきではないかと思っているが。
沈黙である。もはやそのエネルギーすらないのかと思うと残念である。

2050年、少子高齢化・人口減少が加速することはもはや現実である。
讀賣新聞が、「ニッポン2050」と題して将来にわたり社会の活力を維持するための対策を提言した。その真摯な姿勢に敬意を表する。

活力ある幸福な社会へ・・・尊敬する養老孟司先生がこんな視点で訴える。
天災への備えは急務だ。南海トラフや首都直下型といった大地震。人口も政治経済の機能が一極集中している東京が被災したらどうなる。そんなことは10年以上前から叫ばれている。

政府が機能しなくなる。物流は途絶え、食糧や生活用品を確保できなくなる。
その混乱はこれまでの震災の比ではない。どう考えても、「保身と金」しか頭にない。今の政治には頼れない。そう思いませんか。となると自衛するしかない。

自活する力が求められる。都会的なシステムに依存せず、自分と身の回りの人で、食糧やエネルギーなどを自給自足しながら生活を維持させる。文化人類学では、あり合わせのもので上手にやりくりすることを「ブリコラージユ」という。その実現が個々人に求められる。そんな生活に見合う小さなサイズが必要だ。

都会に住む人は地方にセカンドハウスを用意した方が良い。
元々は都会でずっと過ごしていては体にも精神的にもよろしくないだろうが理由だったが、でも今では、間違いなく、未来を生きていくための方法だと思っている。と提案する。私はこの提言、大いに納得している。讀賣新聞がその姿勢になって、国民を誘導してくれることを期待する。政治には頼れないのだから。

私は新聞の力を信じる。私は新聞の提言に私なりに考えてみたいと思っている。
皆さんは如何でしょうか。Goto

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