反戦であり続けたい・・・

アウシュビッツ解放80周年

この季節、道端に積まれた雪を見るといつも思いだす。
雪が路肩に積まれ、車道は雪が凍ってかたまり、車で走るとガタガタする。
路面電車がゴトゴトと音を立ててゆっくりとロータリーを曲がる。
落ち着いた中世の街並みを抜け、寒々とした収容所に向かってタクシーを走らせている。

もう何年前になるだろうか。平成になったばかりですから、30年以上前です。
私は、もう「2度と行かない・来ることはできない」と心に刻んだ場所がある。
ポーランド南部の都市、オシフィエンチムの郊外にあるアウシュビッツ強制収容所跡地です。

中日新聞に、そのアウシュビッツ強制収容所がソ連軍によって解放され今年で80年を迎えたという記事が掲載されていました。
収容所は生き延びた人の要請に応え、戦後47年から博物館として保存。そこを訪れたのです。「働けば自由になる」とドイツ語で書かれたゲートの写真。その写真を眺め、訪れた時が蘇りました。胸が張り裂けそうだった。

2019年の式典に初訪問したドイツのメルケル首相は「虐殺を行なったのはドイツ人だった。この責任に終わりはない」と演説、謝罪した。第二次世界大戦でドイツと一緒に戦った日本軍です。直接的にはホロコーストの責任はないかも知れないが、「過去を記憶せぬ者は、過去を繰り返す」博物館に掲げられている言葉は重い。

博物館には「絞首刑台」や収容施設「ガス室」「人脂収拾室」などが当時のまま保存されている。そして、虐殺されは人たちの遺品。「義足」「メガネ」「髪の毛」「子どもの靴」「山積みされた洋服」などが展示され、110万人がこの収容所で虐殺された痕跡が残る。一つ一つを目に焼き付けながら・・・

人はなぜこんなに残酷になり残忍なことができるのか。戦争の狂気に触れ、震え上がったものです。記事によると、80周年もあってか。それともガザで戦争が続いていたからなのか。多くの若者がアウシュビッツを訪れているそうです。

私は「2度とここには来ない」と誓いました。人類が戦争を繰り返している以上は。とてもじゃないが、ここで虐殺された110万人の人たちに合わす顔がない。申し訳ないではないですか。もちろん、私如きに何ができるかと考えれば何の力もないのですが。

そういえば。なぜ、アウシュビッツに行ったのか。
目的はイスラエルの最南端・エイラート市で工場を買収しようと交渉中。
なかなか折り合いが付かずユダヤ人のことをもう少し学ぼう。それには大量虐殺の悲劇を味わったアウシュビッツをこの目で見るのも・・・そう思ったからです。

翌日、ポーランドからヒースロー空港を経由して、ベングリオン空港へ。
交渉相手と商談に入る前、雑談でオシフィエンチムに寄ってきたと会話した。
その時、相手の目が潤んだ。そのせいかどうかはわからないが、
交渉がスムーズに進み、工場買収は無事に収まった。

人には誰にも琴線がある。日本人にとっての琴線は広島と長崎の原爆資料館です。インバウンドが3600万人。そのうち、何人が尋ねてくれるだろうか。
残念だが、多くの人が立ち寄ってくれる話は聞かない。

戦後80年まがいなりにもこの国が平和なのはと考えると、
全ての日本人・とりわけ若者はアウシュビッツ強制収容所博物館とは言わないが広島・長崎の原爆資料館を訪れるべきだと思う。Goto

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