哲学と宗教観を持て・・・
私の子供の頃。今日・4月8日・岐阜市の町は一年で最も華やぎました。
なぜなら・・・お釈迦さまの誕生日・花祭りだからです。
何百人もの稚児行列、ルンビニーの花園に倣ったトラックが何台もでました。
仏教が盛んな岐阜ならではです。
荷台には正装をした何十人もの僧侶が乗り込み念仏を唱えます。
誕生仏(仏教の開祖であるお釈迦さまは、ルンビニーの花園で生まれました。
誕生してすぐに歩き、右手で天を、左手で地を指し『天上天下世唯我独尊』と唱えたと言われます)その姿をかたどった像が誕生仏です。
花祭りは、お釈迦さまが誕生した瞬間を再現します。
「花御堂」と呼ばれる小さなお堂を、ルンビニーの花園よろしく色とりどりの
花で飾り、花御堂の中には、水盤に乗せた誕生仏を安置します。
この水盤は、お釈迦さまの誕生を祝って、大地から芽生えたとされる蓮の花がかたどられています。
その誕生仏がトラックに乗せられ、沿道を練り回るのです。
沿道からは花が投げられ、人々が合掌します。仏教系の幼稚園では
最も大切な日として、花祭りが執り行われます。
子供が誕生仏に甘茶を注ぐと、健やかに育つといわれ、
水盤から甘茶を柄杓で掬って注いだこと。そして振る舞われた甘茶を
友達たちと不思議なモノを味わう・・そんな顔で飲んだことを思い出します。
今では、そんな姿はどこにも見られなくなりました。
いや、寺院では厳かに執り行われているのかもしれませんが・・
私の人生観は「哲学と宗教を持て」です。
哲学とは己の無力さを知る学問。無力であるが故に常に己を見つめることだと思っています。宗教とは己が絶対に優ることができない偉大なるモノが存在する。
そのその存在にぬかずくことを知ることだと思っています。
なぜ、そう思うようになったか。
多分ですが。花祭り・トラックに乗せられた誕生仏に合掌する沿道の
人々と一緒に手を合わせていたからではないか。
奢るでない。己など小さきものである。
すがれ、グレートサムシングに。お釈迦さまの誕生日を祝す。後藤拝
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