腰骨を立てる

人間・芯を持って生きねばあかんのやねぇ。

いきなりですが。胸のレントゲンを撮りました。
驚きました。肺はどうってことはなかったのですが。
自分では背筋を伸ばして、凛と立っている積もりなのですが・・・

曲がっているのです。年をとると背中が曲がるって言いますが。横に歪んだ。
日常生活の中で、どこかで油断したのでしょうねぇ。

先日、哲学者・森信三氏の本をペラペラと捲っていたら。「腰骨を立てる」という言葉がでてきました。単に背筋を伸ばすという身体的なことを指すのではありません。むしろそこから始まり、人間の在り方を深く問い直す言葉だと思い書き留めました。

腰は体の要です。腰骨が歪めば姿勢が崩れ、力も入らず、呼吸も浅くなります。
武道や坐禅の世界では「腰を立てよ」と繰り返し説かれますが、それは身体を整えることが心を整える第一歩だからです。正しい姿勢で立ち、座り、呼吸を深くすることで、気持ちまで落ち着く。まずはここから「腰骨を立てる」は始まります。

しかし、それだけではありません。腰骨を立てるとは、精神のあり方を正すことでもあります。日本語には「腰が据わる」「腰が引ける」といった表現があります。腰は覚悟や胆力の象徴です。腰骨を立てるとは、信念を持ち、ぶれずに物事に臨むことを意味します。

子どもの頃、親に「姿勢が悪いと心まで曲がるぞ」と叱られたことはありませんか。まさにその通りで、人間は姿勢と心が連動しています。怠け心に流され、横着な姿勢を取れば、仕事も生き方も乱れてしまう。逆に、背筋を伸ばして胸を張れば、不思議と前向きに物事と向き合える。身体の姿勢は心の姿勢を映す鏡なのです。

今風に言えば「腰骨を立てる」とは「芯を持って生きる」ことだと思います。
政治においても経済においても、また仕事においても、本質を外さずに進むこと。何のために働くのか、誰のために存在するのか。その問いに対して曖昧なままでは、結局は腰が曲がってしまいます。

「腰骨を立てよ」とは、身体の姿勢を正すことから始まり、心を律し、信念を貫き、人生の根幹を真っ直ぐに生きよ、という人間の道を説く言葉です。
日々の暮らしの中でふと姿勢を直すように、心の姿勢も時折立て直したい。
そうして生きることで、私たちはどんな逆境の中でも堂々と胸を張り、前に進むことができると思います。

私は身体にも心にも芯として「自分と自分の周りの人々の幸せのため」に生きたいと思っているのですが、なぜ、背骨が歪んでいるのでしょうかねぇ。喜寿だからでしょうか。それとも芯が揺らいでいるからでしょうか。
今一度、意識して「腰骨を立て」てみます。Goto

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