学校とは何か、授業とは誰が担うのか。我々に突き付けられた問い。
教員の働き方改革の一環として、部活を民間委託する学校が増えている。
スポーツ庁と文化庁が22年に示した「地域移行」ガイドラインは
活動場所を学校外に移し、地元スポーツクラブなどに委ねる方向を明確にした。
26年度までに861の自治体が休日の運動部活動を移行する計画を立てており、
すでに委託を実施している399自治体の2倍以上に拡大する見通しだ。
背景には指導を担う教員の負担軽減がある。休日の試合に教員が付き添うには
過重労働の象徴とも言われてきた。
確かに休日を「教員に返す」ことは必要だ。しかし気になるのは「財源の確保」や「受益者負担のあり方」が十分議論されない点だ。国や自治体の公費と保護者が支払う費用のバランスを曖昧にしたまま、ガイドラインだけがひとり歩きしてはいないか?
さらに流れは部活にとどまらない。水泳授業までもが民間委託され始めている。
ある大手フィトネス企業はすでに133校の水泳授業を請け負い、前年比5割増と事業を拡大中だ。売上高103億円のうち3割を部活支援事業が占め、近く5割超にすると豪語する。契約社員として地元の競技経験者を雇い、大学生や会社員の副業人材を登用する仕組みを整えつつある。もはや、学校教育の一部をビジネスとして切り売りしている感すらある。
ここで問いたい。学校とは何か。授業とは誰が担うのか。もし、体育の授業や部活を民間が担うなら、美術や音楽など特殊科目も民間が委託できるはずだ。極端に言えば、公立教育が骨抜きになり、私学に吸収されていく道を開きかねない。
なし崩し的に進めて良い問題では決してない。
教育は国家100年の計である。
教員の負担軽減という短期的視点だけで制度を設計してはならない。
委託に必要な財源をどこから捻出するのか。高齢者福祉など他の財源を削っても良いのか。教育を国民がどう支えるのか。国民的議論を避けてはならない。
「たかが部活」と見過ごしてはならない。そこには公教育の根幹を揺るがす問いが潜んでいる。文科省も自治体も、そして私たち国民も、真剣に議論すべき時に来ているのではないか。Goto
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