全力は美である

力いっぱいの現れはどんな事でも人を惹きつける。

高市新内閣が発足した。記者会見で彼女は「働いて、働いて、働いて、働く内閣でありたい」と宣言した。実に痛快である。政治に最も欠けていたのは、理屈ではなく“全力”だった。私の信条「人間は働くから人間である」にも通じる。全力で働く姿は、理屈を超えて人を動かす力を持つ。

地位を得ることを目的化した政治家ほど、見苦しいものはない。石破前首相はその典型だった。五度挑戦し、悲願の座を得たが、国家をどう導くのか、その理念も哲学も持たなかった。ただ「総理大臣」になりたかっただけだ。派閥と世論の板挟みで何もできず、一年で退場。至極当然の結末である。岸田政権も同じ轍を踏んだ。いまの自民党には、天下国家を見据える政治家がいない。

高市首相に必要なのは、地位ではなく“働く美学”である。彼女が掲げた「全力」という言葉には、久しく日本政治が失った「魂の熱」がある。

思うに、“全力”とは人を感動させる最高の美だ。
大相撲で観客を魅了するのは、勝敗ではなく、渾身の取組みの瞬間。
映画『国宝』が胸を打つのは、若き俳優が命懸けで演じているから。
公園の運動会で、幼子が転びながらも全力で走る姿に涙するのも、嘘偽りのない生命の輝きに打たれるからだ。

自然もまたそうだ。実りきった稲穂、咲ききった花——
全力で生きた姿は神々しい。人もまた同じだ。

政治の世界にも、働く者の世界にも、“手抜き”や“逃げ”が蔓延している今こそ、私たちは「全力の美」を取り戻すべきだ。
高市政権には、在らん限りの妨害が待つだろう。しかし、批判を恐れず、全力で走る者こそ、時代を動かす。維新の吉村代表にも全力の覚悟をみる。

我々もまた、力いっぱい働こう。全力を尽くす姿は、それ自体が美である。Goto

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