一年の終わりに、感謝を深くする
今日が仕事納め。有給休暇を取得している社員も多いが、イベントに関わる営業部門はクライアントのお世話で仕事する。当然だが、感謝の念が深まる。管理部門は金融機関が今日までだから、それなりに処理がある。感謝である。385日、24時間、経済は動いている。その動きと連動して、中広グループも成り立っている。当たり前だが、動いていることに感謝したい。
この時期になると、私は反省よりも、まず感謝を数えたくなる。一年をどう生きたかを問う前に、何に支えられて生きてきたかを見つめ直す。そこに、その人なりの人生観が滲む気がするからだ。
まずは、新聞に感謝したい。
私は新聞命である。朝五時、我が家のポストに新聞が届く。インクの匂い、紙ずれの音。その感触が、思考のスイッチを入れてくれる。一面を開き、コラムに目を通す。天声人語、編集手帳、春秋、分水嶺――同じ出来事を扱いながら、切り口も言葉も異なる。その違いに触れるたび、世の中は単線ではなく、複眼で見るべきものだと教えられる。考える材料を与えてくれる新聞は、私にとって思索の伴走者であり続けてくれた。365日、毎日発行して家庭に届くって凄くないですか。感謝しかない。
次に、電力に感謝である。
正直に言えば、あまりにも当たり前すぎて、感謝することすら忘れている存在だ。だが、少し想像してみる。電気が止まったらどうなるか。スマートフォンは、ただの重たい板切れになる。冷蔵庫がなければ、食べ物にも困る。早朝に起きても、灯りがなければ本も読めない。暖も取れない。電力とは、目立たぬところで文明を支える、沈黙の基盤である。その恩恵の上に、私たちの思考も、仕事も、暮らしも成り立っている。忘れてはあかんのではないですか。原発をなぜ毛嫌いするねか?わからない。
三つ目は、良書に感謝したい。
本は、心の糧である。同時に、頭に新鮮な空気を吹き込んでくれる存在だ。一冊の本が、凝り固まった思考をほぐし、視野を広げ、言葉にならなかった思いを代弁してくれることがある。今年も多くの良書に出会った。読書とは、知識を増やす行為ではない。自分の中の風通しを良くする営みだと、改めて感じた一年だった。著者に出版社に感謝でしょう。
そして、2025年に感謝したい。
この一年、足裏を痛め、二か月あまり歩行がままならない時期があった。身体の治癒力にも助けられたが、今思えば、時が静かに解決してくれた部分も大きかった。人は、焦るほど回復から遠ざかる。時は、時として最良の医師である。
同時に、この一年で、共に働くグループの仲間たち、取り分け幹部諸氏が、著しい成長を遂げてくれた。これは2025年最大の喜びであり、最大の感謝である。人が育つ姿を見ることほど、経営者冥利に尽きることはない。
そして私は、喜寿を刻むことができた。
ここまで生かされ、働かせてもらえたこと。関わったすべての人々に。一年間目にしたすべての大自然に。私と関わってくれた、すべての人に――。
仕事納め。共に生き、共に笑い泣いた全ての仲間に。関わって頂いた人々に。心から感謝したい。Goto


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