祖先になる

人は未来に責任を持つ存在でありたい。

3月も下旬。年度末、グループ一丸・最後の追い込み。必死で喰らいついてくれている。感謝に堪えない。しっかりと後始末をやることで、新年度のスタートが切れる。同時に3月は、3月だからこそ、もう一つ、日本人として後始末をせねばならない。

東日本大震災の被災地、宮城県気仙沼。一人の大工が、津波で流された自宅を、自らの手で建て直していく姿を追ったドキュメンタリー映画『祖先になる』。
瓦礫の中から材木を拾い集め、一本一本、柱を立てていく。その静かな営みを見つめていると、復興という言葉だけでは言い尽くせない、人間の根源に触れる思いが湧いてくる。

この映画の主人公が語る言葉が胸を打つ。
「俺は祖先になる。」

祖先とは遠い昔の人ではない。今を生きる私たちが、やがて未来の子孫から見れば祖先となる。つまり、今日の生き方が、そのまま未来の社会を形づくるのである。そう考えると、働くことの意味が違って見えてくる。家を建てること、家族を守ること、地域で生きること。それらは単なる日々の生活ではない。次の世代に生き方を手渡す行為なのだ。

震災は多くのものを奪った。しかし、人間から最後まで奪えないものがある。それは、もう一度立ち上がろうとする意志である。主人公の大工は、重機や大資本に頼るのではなく、自らの腕と経験で家を建てていく。その姿は、人間の尊厳とは何かを静かに語りかける。

文明がいかに進もうとも、社会の土台を支えているのは、こうした名もなき人々の営みである。木を刻み、家を建て、家族を守り、地域で生きる。その一つ一つの積み重ねが、歴史となり文化となる。祖先とは、特別な偉人ではない。誠実に今日を生き抜いた普通の人々のことである。

私は思う。私たちもまた、未来の祖先として生きているのだと。
仕事に向き合う姿勢、仲間への接し方、地域への関わり。
そのすべてが、後の世に何かを残していくのだと。

この映画は、震災の記録であると同時に、人間の生き方を問う作品である。私たちは何のために働き、何を次の世代に残すのか。その問いを、静かに、しかし深く胸に刻ませてくれる。

人は皆、未来の祖先である。
だからこそ、今日という一日を、誠実に、懸命に生きたい。
その積み重ねこそが、次の時代を支える礎になるのだから。
東日本大震災から15年・今年も私なりの後始末を「祖先になる」と
締めてみたい。Goto

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