広島平和記念資料館が「選択展示」を導入するという。何考えてるのだ。
報道によれば、原爆の悲惨さを伝える展示の一部に壁などを設け、見学者が避けて通ることができる仕組みを検討しているという。子どもたちへの精神的負担に配慮するためだそうだ。
私は、この決定に強い違和感と危機感を覚える。広島平和記念資料館はこれまで、「被爆の実相をありのままに伝える」ことを使命としてきたはずだ。
焼けただれた衣服、黒焦げになった弁当箱、被爆者の写真や遺品。それらは決して気持ちの良い展示ではない。しかし、その凄惨さこそが原爆の現実であり、戦争の現実なのである。恐怖が強すぎると子どもたちが思考停止になる。刺激が強すぎる。そんな意見があったという。
しかし私は逆に問いたい。
戦争とは、そもそも恐ろしく、悲惨で、理不尽なものではないのか。核兵器とは、人間が人間に対して行った最も残虐な行為の一つではないのか。その現実を見せずして、どうやって平和の尊さを教えるのか。
私は四十年以上前、ポーランドのアウシュビッツ収容所を訪れた。ガス室、焼却炉、絞首刑台、山のように積まれた眼鏡や義手、義足。虐殺の証拠が何一つ隠されることなく展示されていた。
二度と行きたくない場所である。
しかし、行って良かったと心から思う。なぜなら、人間の愚かさと残酷さを知り、平和の尊さを身をもって学んだからだ。欧州各国から高校生が訪れていた。
さらにイスラエルのホロコースト記念館も訪ねた。そこでも同じことを感じた。人類が犯した罪から目を背けてはならない。直視しなければならない。歴史とは、都合よく編集するものではなく、ありのままに学ぶものだからだ。
広島も同じである。世界で唯一、戦争で原子爆弾を投下された国が日本である。その日本が、自ら原爆の現実を和らげ、見なくてもよい仕組みを作るのであれば、誰が世界に向かって核兵器廃絶を訴えるのだろうか。
私は、日本の子どもたちこそ、一度は必ず広島平和記念資料館を訪れるべきだと思う。その費用は国が負担してもよい。平和憲法を持つ国として、それくらいの覚悟があって当然ではないか。
平和は願うだけでは守れない。悲惨な歴史を知り、その重みを胸に刻み、二度と繰り返さないという強い意志を持ってこそ守られる。
被爆の実相から目を背けることは、平和への道を遠ざけることになりかねない。私はそう危惧する。広島は、原爆の惨禍を世界に伝える最後の砦である。だからこそ、見せるべきものは見せる。伝えるべきものは伝える。その覚悟を失った時、日本の平和思想は静かに後退を始めるのではないだろうか。Goto


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