惜別の友を思い、秋の夜長を酌み交わす。
秋の夕日はつるべ落としと申しますが。日が短くなりました。
夜長をどのように過ごすのか。一昔前までは、歓楽街、柳ヶ瀬に夜な夜な出没。夜長なんて考えたこともなかったのですが。最近は、机上に積まれた本の処理で夜長を過ごします。
口かさの多い友人達にいわせれば、「あいつは学校のクラブ活動でいえば帰宅部。まっすぐ家に帰るようでは、焼きが回った」とからかわれるのですが。決してそんなことは、ありません。まだまだ、現役。ただ、酒の飲み方が変わっただけです。
深まり行く秋には、秋に相応しい本を片手に、虫の音を聴き、月を愛で、庭の片隅に佇む・・色づくハナミズキ。さくら。もみじなどを眺め。花瓶にススキを立て、秋風に揺らせながら。地酒を鈍燗で、ちょっぴり辛めに炊いた芋の煮っころがしを肴にぐいっと呑む。
裏寂れた柳ヶ瀬の饐えた臭いを交ぜて呑む酒には飽きた。それよりもモノの哀れを感じて・・・・。こんなことを書くと、やっぱりあいつは焼きが回ったと言われそうだが。
先日。亡くなった友の友から。焼きは焼きでも、焼物。本場美濃焼。可児市久々利に窯下窯を構える陶芸家・豊場惺也氏の作品。志野焼のぐい呑と、盛器を頂いた。(写真参照)
焼物の価値は分からないが。秋の夜長。この器とぐい呑みならば地酒も地芋もまた味は格別、惜別の友と酒酌み交わし夜長を楽しめます。ありがとうございます。
それにしても、昨夜はひどい雨、月見どころじゃなかったです。Goto
コメント