天声人語

石牟礼道子さん、スーチーさん、三国連太郎さん・・脈絡がさっぱり分からない。
これは私の能力がないからなのだと、諦めているのですが。でも、何度読み返しても意味がわからないのです。どなたか何が言いたいのか?教えて下さい。お願いします。
我が社では、全社員が毎朝「天声人語」を書写しています。
目的は至って簡単。広告仕事に携わるもの、世間の常識や出来事を日々真摯に学ぶ姿勢がなければ、生き馬の目を抜く時代、生き残ることはできない。603文字に込められた「天声人語」には社会を鋭く洞察、歴史を紐解きながら、人の道まで示唆してくれる格好の教科書。
だから、仕事を充実させるのみならず人生を磨く上でも、社会人として「凛」と生きる上でも、書写は価値あること。そんな思いで、一昨年の8月から全社員が黙々と続けています。そのおかげで、いや、私はお陰と思っていますが。社員の意識が変わり、社会人としての厚みが出てきたと喜んでいます。
で、4/30付の天声人語。書写する社員に聞いてはいませんが。何が言いたいのか?どんな意味があるのか?私にはさっぱり理解できません。同日の毎日新聞「余録」には「水俣病と認められなかった女性を水俣病に認定した最高裁判決」を勝ち取った水俣病と向かい続けた作家の石牟礼道子さんを取り上げ・・・・
石牟礼さんの随筆「食べごしらえ おままごと」の一説を紹介しながら、料理の向こうの熊本の山や海や人々の顔がくっきりと見える。貫かれているのは不撓不屈で水俣病と闘う石牟礼さんの優しい眼差し。86歳の彼女が「これが最後」という講演で「水俣はまだ解決していない。いま苦しんでいる人にまなざしを」という言葉は重い。
あの「神様の食卓」の時代に戻るのは無理としてもせめて人と自然を慈しむ心だけは忘れないでいたい。と石牟礼さんの尊厳ある闘いに敬意を払っている。学生時代石牟礼さんの活動にシンパシーを覚え共感した者としては納得のコラムである。(毎日新聞の余禄は書写していませんが)
で、朝日の「天声人語」石牟礼さんの談話「日本は毒の列島になってしまった。でも野辺には小さな花が咲いている。認められたことは、かすかな希望です」と彼女のことを題材にしたかと思えば・・・瀬戸内海の子供の話?92歳の化粧品会社の女性所長さんも登場?アウンサンスーチーさんも出てくる。最後に山田洋次監督が三国連太郎さんの死を悼んでもいる。
「凛」と生きた人と言いたいのだろうが。それだけではあまりにも軽薄。前後の脈絡もなければ、味もない。こんな駄作の「天声人語」は知らない。私が分からないだけなら。私の無能ですが。どうもおかしい。朝日の独善は今に始まったことではないが、意味不明の天声人語を平気で掲載する姿勢がおかしい。
どこかが弛緩しているのではないか?天声人語を綴ってきた・・先輩達が草葉の陰で嘆いているのではないだろうか。どなたか。4/30付の天声人語の意味をボンクラにも分かるよう解説願えないでしょうか。Goto

コメント