日本語って奥が深いですねぇ。私には不快ですが?
私の性格なのでしょうか。それとも人生の機微に疎いのでしょうか。
物事をはっきりと言い過ぎて、人を傷つけての失敗が多いです。
「ダメなものはだめ」「いいことは良い」と言葉を濁せない。
「オマエなぁ、日本語には「あいまい語」「ぼんやり語」ってのがあって、
それがコミュニケーションの潤滑油で人間関係が成り立っているのだ。
なんでもかんでも「ズバズバ」相手の急所を突くような言い方は良くない」ぞ。
「それにオマエは話し方がキツイ、いつも怒っているように感じる、だから
敵が多いのだ。もう後期高齢者だ。よく考えろ。」なんて諫言される。
「あいまい語」・・一つの表現が2通り以上の解釈を持つため、その意味が
一つに定まらないこと。文脈によってそれぞれの意味に取れるため、誤解が生じやすいのが特徴「結構です」がその代表です。「それで十分」と「不要」正反対の意味に解釈できますね。どっちなんや??
「ぼんやり語」・・指すところが漠然としていて、解釈に幅や広がりがある言葉。意味が一つに定まらないわけではないが、それでも、その範囲や程度が明確でないため、受け手の解釈に委ねられる。
例えば「数日」具体的にいつを指すのかは「ぼんやり」している。
2・3日か?それも5〜6日か?ある程度、幅を持たせることで、断定を避けたり、
相手に配慮したりする役割を果たすことがある。言われてみれば「ぼんやり」
だね。
東京都議会選挙、今日が投開票日です。(岐阜に暮らす私には関係ないが)
7月20日は参院選挙の投開票日です。(これは意中の政治団体がある)
私が選挙に行って欲しいと頼むと。大概の人は「よし分かった中には「行けたら行く」って答える人がいる。あいまいだ。善意に考えれば「行きたい気持ちはあるが、確約できん」からそう言うのだろう。
行きたいのだが、行けないかもという不確定要素を同時に伝える。いや。そんな話ではない「行かないだろうが、直接断ると角が立つ」ので、遠回しに「ほぼ行かない」と言う意向を伝えている場合も「行けたら行く」と言う。
日本っぽい「ぼんやり語」だ。腹が立つが怒ることもできぬ。
私は思うのです。「あいまい語」や「ぼんやり語」を使う時。政治の場合、政治には関心がない。興味もない。つまり自分の政治信条を持っていない。そんな人が「行けたら行く」って言う。経済の場合は「分が悪い」場合には処世術として使う。普段使う人は・・・ひょっとしたら「コミュニケーション能力が高い人なのかも知れない」直情型の私には理解できないのだが。日本語って奥深いねぇ。
とりあえず・・東京都民のみなさん。
選挙には「行けたら行く」で誤魔化さないで欲しい。Goto
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